榮倉奈々が表紙を務めた『an・an』(5月4・11日号。マガジンハウス刊)の「美脚特集」が話題となった。身長170センチ・股下80センチ以上といわれる榮倉のスラリと伸びた脚が印象的だ。いまや美脚は「女性の美」を語る上で欠かせない要素となっている。かつて胴長短足といわれ、美脚とは無縁であった日本人が、いかにして美脚に目覚めたのか。日本の「脚線美」の歴史を紐解いていこう。
戦後を代表する美脚の代名詞といえば、日本人で初めてミニスカートをはいたとされる野際陽子だろう。1967年3月、留学先のパリから帰国した際にミニスカで飛行機から降りてくると、待ち構えていた報道陣は騒然となった。「ずっと日本にいたらはかなかったかもしれない」というフランス仕込みのファッションをきっかけに、女性が生脚を出す機会が増え始めた。
同年7月には山本リンダが『ミニミニデート』、木の実ナナが『ミニ・ミニ・ロック』、8月には金井克子が『ミニ・ミニ・ガール』と立て続けに美脚をジャケットに写したレコードが発売。10月にはイギリス人のスーパーモデル・ツイッギーが来日し、ミニスカをはき細く長い脚を見せつけたことで、日本人の美脚への憧憬を決定づけたとされる。
「60年代は若者が日本の伝統文化に歯向かう風潮がありましたし、今以上に欧米への憧れが強かったため、新しいファッションであるミニスカが流行したのでしょう」(社会学者の太田省一氏)
1969年には小川ローザが『Oh! モーレツ』のフレーズとともにミニスカが吹き上がるCMで一世を風靡。映画界では大信田礼子や浜美枝といった美脚を売りにする女優が台頭した。「西野バレエ団」で鍛えた脚線美を見せていた由美かおるもその1人だ。
脚に1億円(当時)の保険をかけたといわれている朱里エイコも、時代を代表する美脚有名人。この頃、渡米して、各地のショーに出演していた朱里は、現地のマネージャーに「プリティーな部分は強調しなくちゃいけない。あなたの場合は脚だ」と助言を受ける。帰国後、美脚を強調した服装で新曲『北国行きで』を歌うと大ヒットし、NHK紅白歌合戦へ初出場を果たした。