榮倉奈々が表紙を務めた『an・an』(5月4・11日号。マガジンハウス刊)の「美脚特集」が話題となった。身長170センチ・股下80センチ以上といわれる榮倉のスラリと伸びた脚が印象的だ。いまや美脚は「女性の美」を語る上で欠かせない要素となっている。かつて胴長短足といわれ、美脚とは無縁であった日本人が、いかにして美脚に目覚めたのか。日本の「脚線美」の歴史を紐解いていこう。
1980年代前半こそ、短距離走の速い石川秀美が『オールスター紅白大運動会』で鍛えられた脚を露わにするなど、1970年代同様、健康的な脚が目立っていたが、そのアイドルと脚の歴史を変えたのが森高千里である。
1989年2月発売のシングル『ザ・ストレス』のジャケットでは、ミニスカのウェイトレス姿を披露。スラリと伸びた長い脚を強調したことでファンが一気に増え、次作の南沙織のカバー曲である『17才』では洗練された“美脚”を前面にアピールした衣装で、男性人気を不動のものにした。
「ビジュアルだけでなく、『私がオバさんになっても』の作詞などで女性の共感を得たことも人気が続いた理由です」(社会学者の太田省一氏)
バブル以降は、女性タレントが男性の支持だけでは生き残れない時代に突入する。
「80年代の女の子は、『男の子に受けているからマネする』という風潮があった。松田聖子が嫌いでも『聖子ちゃんカット』にしていた。それが90年代になると、男性に合わせるのではなく自分の好きな女性のマネをするようになった」(芸能評論家の宝泉薫氏)
1980年代後半、テレビの主流だった歌番組が減少していったことで「アイドル冬の時代」が訪れ、1990年代に入ると女性視聴者に支えられるドラマやCMを機にブレイクする女優が増えた。
宮沢りえ、牧瀬里穂と並ぶ「3M」の中でも一番の美脚だった観月ありさは、フジカラーのCMやドラマ『ナースのお仕事』などで特徴を存分に発揮。松嶋菜々子や藤原紀香、米倉涼子という群を抜いたプロポーションを誇る女優も、ドラマの主演や女性誌の表紙を飾った。
1998年には、ドラマ『ショムニ』で江角マキコのタイトスカート姿が話題に。巨乳の代名詞だったイエローキャブからデビューした佐藤江梨子は脚も美しく、後に人気アニメ『キューティーハニー』の実写映画で主演を務めるほど抜群のスタイルだった。