NHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。昨今の朝ドラは「夫婦」に焦点を絞るものが多かったが、今回は家族を主題にしたドラマとなっている。そんな『とと姉ちゃん』のモデルとなったのは、『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子さんだ。作中では家族の大切さについて描かれることが多い。その大橋さんと30年近くの親交があったという『家族という病』(幻冬舎新書)の著者・下重暁子さん(79才)に話を聞いた。
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私は大橋鎭子さんが60代の頃から3年前に亡くなるまで30年近くのつきあいでした。暮しの手帖社から2002年に写真集『藍木綿の筒描き』を出版したときも大橋さんにお世話になりました。著者と編集者という間柄でしたが、仕事が大好きな人で、経営者と同時に最後まで現役の編集者でした。
写真集を作るときも“写真を効果的に見せるにはページの右側よりも左側に配置したほうがいいから、左にいい写真を使おう”とか、細かいところまで全部神経を使って、ご自分でちゃんとやってくださいました。もちろんカメラマンや他の編集者もいましたが、彼女のおかげですごくいい本になりました。
彼女は『暮しの手帖』の創刊者でしっかりしていらっしゃったけど、お茶目でかわいいところがある人でした。
大橋さんが1994年に東京都文化賞を受賞したとき、みんなでお祝いの会を開いたんですが、ちょうど5月のバラの咲く時期だったので、“5月のバラの会”と名づけたんですよ。
大橋さんはその会があまりに楽しかったから、またやりたくて仕方がなかったんでしょうね。「毎年5月にバラの会をやりましょう」って言うのよ。もともとは受賞のお祝いの会なのにみんなに会いたいから毎年、亡くなる間際まで開催したんですよ。