喜劇出身で、幅広く活躍する俳優・左とん平は、若い頃から多くの喜劇人たちと共演し、影響を受けてきた。左が喜劇人仲間や大先輩たちとの共演の思い出を語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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左とん平は1970年、久世光彦演出・森光子主演のテレビドラマ『時間ですよ』(TBS)にレギュラー出演している。
「あの時は森さんに絡むチンピラの役で出番も少ないから、インパクトを強くしようとした。そうしないと次がないからね。
久世さんと出会うキッカケは麻雀。有島一郎さんのマネージャーが久世さんと仲が良くて、麻雀に誘われたんだ。だから、芝居どうのというよりは、久世さんとしては『こいつを使えば麻雀のメンバーに困らない』というのがあったんじゃないかな。
久世さんの演出は見ていて格好よかった。仕草が役者みたいでね。演出は、まずこっちに演じさせる。そうすると『とんちゃん、もっと違うのがあるだろ』と言ってきて『じゃあ、こういうのはどうですか』とやると、『じゃあそっちで』というスタイルでピックアップしていく。あの当時は堺正章に樹木希林に由利徹さんに伴淳三郎さん……芸達者が揃っていたから、そういう演出ができたんだと思う」
その後、久世作品には1974年『寺内貫太郎一家』、1977年『ムー』と立て続けに出演している。『寺内~』では石工職人役として、喜劇界の大先輩・伴淳三郎と名物コンビを形成している。
「伴さんが熟練の職人で、僕が若造の役。それなのに、こっちが雑に扱うんだよね。殴ったりして。言うことをよく聞く役は面白くないし、久世さんもそれを求めてなかった。あの人もアウトロー的なのが好きなのよ。
伴さんはほとんど台本が読めない。目が悪いから。読む時は顔をくっつけるくらいホンに近づけて読む。だから、全部を見られないんで、自分のところしか見てないんだ。
で、僕と由利さんで『あそこはこうですよ』って言うわけ。二人とも『大丈夫かな』という顔で見ているんだけど、本番になるとダアーッと物凄い勢いで芝居してくる。だから、こっちが食われて伴さんしかよく映らないんだ。由利さんと二人で『冗談じゃねえぞ、あのクソジジイ!』ってよく怒ってました。
由利さんはシリアスな芝居をやらせても上手い役者なのに、照れるんだ。だから、あまりやりたがらない。泣かせるような場面でも『ここで泣かせればいいのにな』と思うようなところでサラっと行っちゃう。あるいは、何か笑える芝居を入れたり。『何でも入れればいいっていうわけではないですよ』と思うこともあったよ。顔立ちで損していたと思う。画面に映るとうっとうしくなっちゃうんだよね」