最近ではめっきり減った歌番組。しかし、1970年代~1980年代にはたくさんの歌番組が乱立していた。その歌番組のなかのほとんどを歌謡曲が占めていた。歌謡曲は当時、テレビやラジオを通していつも私たちの茶の間にあった。
当時は、大好きなアイドルのシングルはレコードで買うけれど、それ以外はテレビやラジオをカセットテープに録音して聴いて覚えるのが当たり前。ダブルカセットラジカセが普及してオリジナルテープを簡単に作れるようになると、それをウォークマンに入れて外で聴く文化も生まれた。
「テレビの前にラジカセを置いて録音していました。それを何度も聴いて覚えるんです。特に月曜夜10時の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)と木曜夜9時の『ザ・ベストテン』(TBS系)は、見ないと次の日のクラスの話題についていけないほどの人気番組でした」(松本博美さん・仮名・49才)
1968年に放送が始まった『夜のヒットスタジオ』は、1976年にリニューアルし、原則としてフルコーラスを演奏する、出演する歌手が別の歌手の歌を歌ってメドレーをするなど、今もって類似番組のないほど歌番組としての濃度を高めていた。
対する『ザ・ベストテン』は1978年放送開始で、人気の歌をランキング方式で紹介し、それを歌う歌手をスタジオに招くスタイルだ。
どちらも生放送。ゆえに、当時のプロデューサーたちは「歌番組は、ニュース番組だった」と口を揃える。そこには、リアルタイムだからこそ伝わるドラマも映し出されていた。
「松田聖子がデビューして間もなく初めて『夜ヒット』に出た時、郷ひろみと共演したんです。照れと興奮で、彼の隣に立っていられないくらい動揺しちゃってね。ずっと彼のことが好きだった彼女は、1人のひろみファンとして泣いていましたよ」(当時の番組プロデューサー・疋田拓さん)
この2人だけでなく、恋の噂のあるカップルを並べて座らせたり、時の人をデュエットさせたり、歌番組中に起きることは見る者にとってすべて“事件”だった。
山本由美さん(仮名・55才)は、テレビに映った次のシーンが今でも忘れられないと興奮気味に言う。
「豹柄の服を着たアン・ルイスと吉川晃司が、かなりエッチな感じで、直視するのもはばかられるくらい大胆に体を絡めながら『六本木心中』を歌っていたのが最高にカッコよかったです」
悲しい事故にも歌番組ならではの手法で向き合った。1985年8月12日、日航機墜落事故で亡くなった坂本九さん(享年43)は、その翌週、21日の夜ヒットに出演する予定だった。