「進行具合はスピードが速くて。なかなか大変なものではないかというご意見をお医者様から受けました」。6月9日、市川海老蔵(38才)は会見で、妻の麻央(33才)が乳がん闘病中であることを明かした。
会見後、海老蔵のブログには、《涙が出ました》《また元気な麻央さんの姿が見たいです》など、1万件を超えるコメントが殺到した。芸能界からも、和田アキ子(66才)や寺島しのぶ(43才)、同じく乳がんを患った北斗晶(48才)、南果歩(52才)ら数多の人間から激励のメッセージが届いている。中でも、読売テレビ・清水健アナ(40才)の番組中の発言が多くの人々の胸を打った。
「お母さんって、ママって本当に強いなと思う」
「そばで見守る家族もつらい。仕事をしている時だけ忘れられる、という人もいるけど、実際は離れれば離れるほど不安なんです。心配なんです…」
同じ病を知る男の痛切な思いがにじみ出る。昨年2月11日、清水アナの妻・奈緒さんが29才の若さで亡くなった。末期の乳がんだった。奈緒さんの乳がんが発覚したのは、第一子を妊娠中の2014年5月のこと。投薬治療は胎児への影響が大きく、清水アナと奈緒さんは究極の2択を突きつけられた。治療をせずに子供を産むか、出産を諦めて母体を取るか──。夫婦が出した結論は、「母体も子供も救う」。
清水アナは闘病中の日々を自著『112日間のママ』で明かしている。
《僕は走り回った。いったいいくつの病院を回っただろうか。平日朝9時から夜7時まで働き、その合間を縫って医師にあった》
《初めて抗がん剤を投与する日、僕は奈緒の手を横で握りしめてた。奈緒の手が震えているのかと思ったら、震えているのは僕の手だった》
2014年10月、奈緒さんは無事に男児を出産。しかし直後、肝臓と骨髄への転移が発覚する。産後わずか2週間で余命3か月を告げられるという悲劇が待ち受けていた。
《僕は毎晩、大阪病院に泊まった。病院から会社に出社し、仕事が終わると病院に直行》
《夜、熱を出している妻を見て、看病と心配でたまらなくて、でも奈緒をお義母さんに託して仕事に行って、本番をやって、家に帰ってきてすぐ息子の世話をして。その間、ずっと他に手立てはないのかを考えて情報収集して》
《しんどかった。もう頭がパンパンだった》
それでも、彼はテレビの仕事をこなし、妻の看病と息子の世話をした。妻が亡くなる直前まで、一日も休まずに。「私だって、行けるなら仕事に行きたい」。妻のひと言が、彼を支えていた。海老蔵の日常もまた、当時の清水アナに重なる。