舛添要一東京都知事が辞職を表明した。いささかうんざりだったこの騒動、意外に人間関係に活用できるという。大人力コラムニストの石原壮一郎氏が分析する。
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今回は舛添さんについて書きますぞえ。……いや、その、すいません。思いついたはいいけど今しか書けないので、勇気を振り絞ってみました。
まあでも、こんなくだらない書き出しがよく似合う、なんだかトホホな騒動でした。べつに舛添さんの味方をするつもりはないし本人に問題が多々あったのは確かでしょうけど、あんなにわかりやすい構図で仕立て上げられた「イジメてもいい対象」に、あんなにたくさんの人が素直に石をぶつけるなんて。日本は平和だってことなんでしょうか。
ほかの政治家のもっとタチの悪い悪事はどうなのかとか、セコイのは確かだけどそれってそんなに騒ぐようなポイントなのかとか、そういう面倒臭そうな話はさほど盛り上がりませんでした。きっと、心置きなく「正義の怒り」を爆発させられるかどうかが重要なんですね。さて、次はどんな標的が現われるんでしょうか。
おもに「どうでもいいよ」と思っていた人に向けて、世間の関心がまだ少しだけ残っている今のうちに、あの騒動の活用法を考えてみましょう。オススメなのが、辞職騒動をどう語るかによって、相手がどういう人かを推し量ること。それによって接し方や付き合い方も考えて、うわべの人間関係を円滑に保つ一助にできそうです。
まずは「本気で怒っているタイプ」。こういう人は、無理にひねったことを言おうという了見なんて持たず、その時々の「世間の空気」に合わせることに抵抗がない善良な人であるのは確かです。基本的には親切で、いっしょに酒を飲みながら上司の悪口を言ってくれたり、会社の理不尽さに憤ったりしてくれるでしょう。
ただ、なんせ空気を読むのは得意なので、何かの拍子にこっちの旗色が悪くなったら手のひらを返すかもしれません。また、毒のあるシャレや冗談は、通じないだけでなく思いがけない地雷を踏む可能性が大。そのあたりに気を付けて当たり障りのない会話を心がければ、いい関係を築けるでしょう。
続いては「『まさに衆愚政治の象徴だ』と言いたがるタイプ」。言い方はさまざまですが、辞任問題を引き合いに出しながら日本の現状や日本の政治を嘆くというのが、ここ数日ちょっと流行しています。この原稿も同類に見られそうですけど、ここでは日本全体や政治状況について語るつもりはまったくないので、ちょっと別だと主張させてください。
そういう語り方をしたがる人が主張したいのは「俺は単純に怒っているヤツらと違って、おりこうさんである」ということ。結局、時流に乗せられて聞いたようなことを言っている点では似たり寄ったりなんですけど、本人は「自分にしか言えないことを言っている」と思っています。心に余裕があったら「さすが○○さんだね」と感心してあげて、満足そうなテレ笑いを見るのも一興。話を聞くのが面倒くさいときは「次の都知事は誰がなるのかな?」と聞けば、とくに明確な意見はないので黙ってくれるでしょう。