放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、音楽評論家・作詞家の湯川れい子氏のパーティーの模様をレポート。
* * *
6月17日、都内のホテルで、『湯川れい子 生誕八十年 音楽評論家五十五年 作詞家五十年』を祝う会が行われた。
発起人代表は、渡邊美佐氏、井澤健氏、堀威夫氏、田邉昭知氏、石坂敬一氏、有働誠次郎氏…ら、芸能界・音楽界の重鎮ばかり。84人にわたる発起人にも大手芸能プロ社長や作家、歌手らが名を連ね、事務局はキョードー東京内に設けられた。
湯川さんは「今日は同窓会のつもりで」と挨拶し、同時に、真夏のように気温が上がった日に「皆さん、お忙しいなか、着替えてきていただいて」と出席者を気遣った。
パーティー着に「お召かしして」という意味ではない。同日昼間は、大手芸能プロダクション「芸映」会長の青木伸樹さんの告別式が東京・世田谷のお寺で営まれ、芸能関係者、音楽関係者ら400人が青木会長との別れを惜しんでいた。つまり喪服から着替えてきたのである。
70年代〜80年代、芸映には、西城秀樹、浅田美代子、岩崎宏美、河合奈保子ら、超人気アイドルが多数所属。彼らから父親のように慕われていたのが青木氏だった。
そのどちらの会場でも司会をつとめたのは徳光和夫さん。「昼と夜、全く異なる場で司会をさせていただき…」と、徳光さんも挨拶し、大物が揃いに揃った会場を目に焼き付けるように何度も見渡していた。
湯川さんのパーティー中盤には、司会を赤坂泰彦にバトンタッチし、湯川れい子作詞のヒット曲や話題曲を、クミコを始め、多くの歌手が披露。
発起人やゲストが華やかというだけでなく、往年の演歌歌手、芸能プロやレコード会社の社長や幹部、一般紙やスポーツ紙の芸能担当の編集委員ら、会場も“有名人”ばかり。ちなみに招待状の中には、日刊スポーツの「号外」が入っていて、取材・構成を担当したのは、同紙の重鎮、笹森文彦氏だった。
さらに驚いたのは、会場内で胸からパスを提げ、人をさばいたり、飲み物を勧めていたりして働きまくっていたメンバーというのが、各社の役員クラスばかりだったこと。招待客の中ではペーペーのまたペーペーといった部類に入る私は、恐縮するばかりであった。
80歳にはとてもみえない、美しく、フットワークが軽く、社交的でおしゃれな湯川さんの若い頃のお写真は、どれも本当におきれいだし、堪能な英語で海外のミュージシャンと会話したり、アメリカのテレビ番組に和服で登場し、喝采を浴びる様子がムービーで残っているのにも驚かされる。
大物“外タレ”とのツーショット写真も、美しいまま保存されており、これで一本番組が…いやドキュメンタリー映画ができてしまうのではないかというほどの華やかさだった。