2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、ソクラテスの「徳は教えられるか」という言葉の意味を紹介する。
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老年のプロタゴラス(ギリシャの哲学者)に青年ソクラテスが質問します。
「貴方の指導を受けた人は、何について優れた人になれるのでしょうか?」
お金を取って「徳」を教えているプロタゴラスはギリシャ神話を引用して答えます。
「人間を含めて動物が創られた時、神々の命令でエピメテウスは各動物にそれぞれ身を守る能力を分配した。しかし、人間には能力を与えることを忘れてしまった。それでプロメテウスが、工作の神と知恵の女神から、火と技術的な知恵を盗んで人間に与えた。
しかし、これだけでは人類は戦い合って滅亡してしまうので、ゼウスはヘルメスを遣わして人類に『徳』を与えた。技術的な知恵に関しては、例えば医学の知恵は医師に、音楽の知恵は音楽家にというように、特定の専門家に与えられた。ところが、『徳』に関しては特定の専門家を造らず、すべての人間が分け持つようにした」
そしてプロタゴラスは「徳は教えられる」と言います。技術的な知恵に関しては、例えば笛を吹く能力など、技術の高さは判断可能であり、専門家による指導ができます。しかし「徳」に関しては、皆で分け持ち、専門家がいないので、教えることは出来ないのではないかとソクラテスは言います。
プロタゴラスは、子供が母国語を話せるようになるのと同じように、あらゆる人が教師となって子供は「徳」を身につけるようになる、だから徳を教える教師が一見いないように見えるのだと言います。