アイドル人気全盛の1983年から8年間、雑誌『Momoco』の表紙と巻頭連載「Momoco写真館」を撮り続けた写真家の小澤忠恭氏。撮影した計87人のアイドルの中で一番思い出に残っているのは、創刊時のイメージガールのオーディションで約500人の中から選ばれた菊池桃子だった。
「名前が雑誌名と同じというのも運命的でした。とにかく圧倒的にかわいかった。デビューしてわずか1年で日本武道館を満員にするほどの人気で、その頃に真冬の芦ノ湖の湖畔で撮影したら風邪をひいちゃって。あれはマズかった(笑い)」(小澤氏)
『Momoco』からは多くの人気アイドルが生まれた。なかでも酒井法子のアイドルとしての資質は際立っていたという(以下、「」内の発言は小澤氏)。
「撮影後に『東京タワーが見たい』というので車で連れて行くと、着く前にパッと車を降りて車道を走って行っちゃう。天真爛漫というのは、アイドルにとって欠くべからざる資質なんです」
同様に、西村知美もまたアイドルらしいアイドルだった。小澤氏が最初の出会いを語る。
「デビュー前に彼女の地元の山口で撮りました。立居振る舞いがすでにアイドルというか、素人じゃないんです。聞くと、憧れている菊池桃子の仕草を見て身につけたと。天然ボケのイメージが強いけど、芯のしっかりした子でした」
天真爛漫といえば、騎手・武豊との結婚後、芸能界を引退した佐野量子も印象深い。小澤氏によれば、佐野の大らかさは西村以上だったという。
「彼女、静岡からバスで通っていましたが、帰りに乗り過ごしたというのです。『困ったなあって思っていたらトラックが停まってくれて、家まで送ってくれました』と。危ないですよね(笑い)」