公開中の映画『64─ロクヨン─』では、ベテランとして若手俳優たちと向かい合っている役者の佐藤浩市のデビューは19歳、NHKのドラマだった。映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』から、役者デビューとメジャー映画デビュー。このふたつの作品で共演した若山富三郎との思い出について語った佐藤の言葉をお届けする。
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佐藤浩市は1980年、19歳の時に父・三國連太郎と同じ役者の道に進むことになる。
「子供の頃から根底に出役というのがあったとしても、口にしなかった。できなかった。というのは、近所の方だろうが小学校の同級生の親御さんであろうが、みんな『どうせ役者さんになるんでしょう』って。そう言われることへの反発があったわけです。
ただ、映画は好きだったので何らかの形で携わりたいという気持ちはありました。それで映画の学校に通って、フィルムの編集の勉強をしました。その夏休みくらいにたまたまNHKで背格好とか歳がそれくらいの役者を探していると言われて、話のタネというか。出役側というのは三國を見て知ってはいますけど、自身としてもどういうものか経験してみたいという想いもありましたし」
デビュー作は同年のNHKドラマ『続・続 事件 月の景色』。若山富三郎扮する老弁護士と対峙する犯罪者の役を演じた。
「演技はずぶの素人でしたが、現場に入る前に一ヶ月半くらいNHKに通って、毎日必ず誰かがついてくれて稽古をしてくれるわけですよ。当時は演技のいろはを教えてくれる余裕があったんです。新人を使う場合は、現場も責任持って一人前にしたいと。得るものを持ってから大海にリリースしたいという。
若山さんは父のことを知っているわけで、『なんとか連ちゃんの名に恥ずかしくないようにしたい』という想いが強かったようで、厳しかったです。
ほとんどが接見室での面談シーンなのですが、そこでする芝居に対して『お前、分かっているのか。気持ちはできているのか』と言われて。僕は正直に『できていません』としか言いようがないんです。そうすると現場をストップさせて『便所に入ってこい!』って言われて。トイレの個室に入っていると何度もADさんがノックしてくる。『佐藤君、気持ち、できた?』って。
中座した現場を何とかしないといけないというのは素人なりにも分かったので、『できません』と言えなくなって、必死に若山さんの前で芝居をさせていただきました。そういう毎日でしたから、どんどん下を向くしかなくてカメラマンには怒られるし、セリフも細くなるから声も録れない。
このまま役者を続けるのは、どうしようかとは思いました。ただ、上手くいかないまま学校に戻るということが自分の中で整合性とれなくて」