1958年、時は高度経済成長期の東京・池袋。一軒の食堂が開業すると、学生と労働者が列をなして瞬く間に繁盛店になった。売りは「全品50円均一」という安さとユニークさだ。
それから58年。「大戸屋」は国内・海外合わせて400店舗を構え、売上200億円を超える大企業に成長した。
「創業者が若くして亡くなり、池袋の食堂を引き継いだのが、息子の三森久実・前会長でした。当時19才。後にカリスマ経営者と呼ばれる辣腕を振るって、明るい店内、健康志向の豊富なメニュー、そして女性が1人でも入りやすい定食屋にイメージを一新し、店舗を爆発的に増やしました」(大手紙経済部記者)
大戸屋が2階や地下など目立たない場所に多いのは、「定食屋に並んでいるのが恥ずかしい」という女性への配慮だというから、女性目線の店作りは徹底している。
ところが昨年7月、三森前会長が肺がんで57才の若さで亡くなると、大戸屋に不穏な空気が漂い始めた。
「創業家と遠縁にあたる、生え抜きの窪田健一社長(45才)が経営トップになりましたが、その経営方針を巡って、三森前会長の長男・智仁さん(27才)と対立したんです」(前出・記者)
智仁氏は3年前に入社し、2年前には執行役員に昇進。将来的に世襲でトップに就くためのステップを順調に上がっていた。
「会長が亡くなる1か月前、智仁さんが26才で常務取締役に就いたんです。会長の意向とはいえ、さすがに“社歴2年の26才では若すぎるのではないか”と社内では話題になりました。会長もその時はほとんど危篤状態だったと聞きますし、しっかり判断できる状態だったのか…」(同社関係者)
三森前会長が亡くなった数か月後には、「会長夫人が会社側に“息子を早く社長にしてほしい”と非公式に働きかけましたが、それを現経営陣が“もう少し経験を積んでからにしてほしい”と退けたようです」(銀行関係者)という。そうして創業家と経営陣の間に溝が生まれた。