駅舎の保存運動が起きるのは、現役の路線だけとは限らない。廃線路線でも声は挙がる。20年以上前に廃線になった北海道の深名(しんめい)線は、深川市と名寄(なよろ)市を結ぶために深名線と名づけられた。赤字路線ではあったものの、代替交通がないという理由から国鉄時代は廃止を免れた。しかし、平成7(1995)年に力尽きた。そしてJR北海道は駅舎の解体費用を節約するため、沼牛(ぬまうし)駅を幌加内町に売却。幌加内町も町民に譲渡して、沼牛駅は近隣住民が倉庫として管理していた。
そんな折、幌加内(ほろかない)町役場に勤める飯沼剛史さんは「過疎化している街を何とか盛り上げたい」と考え、「おかえり沼牛駅実行委員会」を結成。昨年、深名線廃線20周年のイベントを開催した。すると、人口約1600人の町へ鉄道ファンを中心に町外から800人も集まり大盛況となった。このイベントを開催したことで、飯沼さんは「駅舎は街の財産である」ことを確信。駅舎を活用する道を模索した。
しかし、深名線沿線は北海道でも有数の豪雪地帯にあるため、沼牛駅舎はあちこちが傷んでいた。地域資源として活かそうにも、まず駅舎の補修をしなければならない。沼牛駅の補修費用は、最低限の部分補修でも150万。すべてを補修すると400万円かかる。小さな町でその予算を捻出することは難しかった。そこで、飯沼さんたちはクラウドファンディング「READY FOR」で「築87年の木造駅舎保存プロジェクト」の資金を調達に取り組んでいる。
地域に親しまれてきた駅舎は人々の記憶に刻み込まれる。そうした思い出を大切にしようという気持ちは重要だ。また、歴史的な観点から考えても、後世に残す必要性もあるだろう。
しかし、駅舎保存は綺麗事だけで完結しない。”金”という現実がついて回る。
現実と理想の間に揺られながら、どうにか駅舎を残そうとする人たち。建造物だけでなく、そうした人たちと運動そのものも、後世に伝えていかなければならないだろう。