現在では当たり前のようになっている“マルチタレント”という存在。相本久美子(58)はその先駆者だった。
「アイドルは歌手か役者という選択肢しかなかった1970年代に相本さんはバラエティに進出。『TVジョッキー』でのミニスカート姿と臨機応変な対応ぶりが印象的でしたね。美貌とスタイルの良さに加え、ファンの間では、イニシャルとかけて『IQ』と呼ばれる知的さを兼ね備えていました」(経済アナリストでアイドルにも詳しい森永卓郎氏)
歌だけでなく、ドラマで芝居もして、バラエティ番組でもそつなく進行。圧倒的な美脚とスタイル、弾ける笑顔で水着グラビアでもファンを楽しませてくれる──。相本は何事も真面目に一生懸命に取り組んだ。
「デビューから1年、売れない時期を経験したことが大きかったと思います。水着写真は今見ても、恥ずかしいですね。私は色気よりも、健康的な姿が求められました。あの頃は撮影で朝から晩まで海辺で陽に当たり、ずっと笑っていましたね。時々、不機嫌になりましたが、逆に表情にバリエーションが出て良かったみたい(笑い)」(相本/以下同)
山口百恵や桜田淳子が芸能界を席巻していた1974年9月、相本久美子は近藤久美子の芸名で歌手デビューを果たす。その後1年で3枚のシングルを出したがヒットチャートには入らない。事務所のタレントは自分ひとりのみ。将来に不安を覚えた頃、仕事で一緒になった西城秀樹が自身の所属する事務所を紹介してくれた。移籍後に改名し、仲良くなった後輩の岸本加世子と新宿で2人暮らしをしたこともあった。
1975年、ドラマ『花吹雪はしご一家』で秀樹の妹役に抜擢される。撮影が終了する頃、主演の森光子は「必ず誰かが見てくれているから、どんな小さな仕事でも頑張りなさい」と何気なく口にした。
「すごい言葉をもらったなって。あれから、ずっと心に留めています」