「孝行のしたい時分に親はなし」というが、男にとって生まれて最初に接する異性である母の愛のありがたみは、失ってみて初めて気づくことがほとんどだろう。母の思い出を、プロ野球解説者で「マサカリ投法」で知られる村田兆治氏(66)が語る。
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おふくろは親父に口応えをせず、とにかく男性を立てる。男尊女卑のいい面を持った女性でしたね。
親父は広島県の職員。生活は安定していたが、子供の頃から贅沢はしたことがなかった。家の裏には小さな畑があって、おふくろはそこで穫れた野菜をバランスよく食べさせてくれた。
当時はもっぱら田んぼで相撲などをとって遊んだ。カープファンの親父に連れられて市民球場で何度か野球を観戦したが、実際に野球を始めたのは小学4年。学校のソフトボール部に入部した。
中学でも野球部に所属し、高校は甲子園を目指して広島の強豪・福山電波工業に進学した。甲子園の夢はかなわなかったが、ロッテからドラフト1位で指名を受けた。小学生からの夢だったプロ野球選手になることができたが、進路はすべて自分で決めてきた。
親父もそうだったが、特におふくろは「自分の道は自分で切り開きなさい」という考え。失敗を恐れず何事にでもチャレンジすればいいという人だった。
もちろん試合で打たれると落ち込んだし、夏の練習で食欲が落ちることもある。落ち込んだ時は明るく接してくれるし、食が進まない時は食べやすいものを作ってくれた。いつでも温かく見守ってくれた。
勝ち投手になれば「よかったね」と電話を掛けてきた。その時に「今日のピッチングは俺が求めているものとは違うんだ」とグチっても、「じゃ次に頑張ればいい」と受け止めてくれた。そんな一言で励まされたり、気持ちの切り替えができたことも少なくなかった。