実際、当時の伊勢うどんは、地元でこそ食べられていましたが、伊勢を一歩出るとまったく知られていなくて、「幻のうどん」と言ってもいい状況でした。お店で伊勢うどんを食べた観光客が「こんな茹ですぎてコシのないうどんが食えるか!」「こんな真っ黒なうどんがあるか!」と怒って帰ったことも、しばしばあったそうです。そんな調子なので、伊勢のうどん屋さんも地元の人も、伊勢うどんに誇りを持つことはできず、「ぜひ食べてほしい地元の名物」という認識もありませんでした。
そんなときに、超有名人で幅広く活躍している永六輔さんが、伊勢うどんを「おいしい」と評価し、全国に紹介してくれたという出来事は、伊勢うどん関係者にとってどれだけ嬉しく、どれだけ励みになったことか。地元の人が伊勢うどんの価値を見直し、自分たちの食文化だという誇りを持つうえで、永さんの称賛の言葉がどれだけ力強い後押しになったことか。伊勢うどんだけでなく「永さんのおかげで地元がその価値にあらためて気づいたもの」は、全国各地にたくさんあるに違いありません。
もし永さんが、見慣れないスタイルのうどんに拒絶反応を示し、もちろんラジオでもエッセイでも紹介していなかったら、いまごろ伊勢うどんはどうなっていたでしょう。地元で人知れず細々と(太いけど)食べられ続けているだけの、いやもしかしたら、姿を消していた可能性だってあります。先入観にとらわれずにいいものはいいと思ってくれた柔軟な感性や、お伊勢参りと深い関係がある食べ物だとわかってくれた幅広い教養、つまりは永さんの素晴らしい人間性が伊勢うどんを救ってくれました。
永さんが初めて伊勢うどんを食べたのは、宇治山田駅近くに今もある「ちとせ」というお店です。その後も、伊勢を訪れるたびに、ふらりと「ちとせ」に立ち寄ったとか。ちとせのおかみさんは「永さんは、いつもそっと入ってきて、静かに座っててなあ」と語ります。インタビューでも、「ちとせ」の思い出を懐かしそうに語っていました。
「僕にとっての伊勢うどんは、やっぱり『ちとせ』と深く結びついている。あのお店の雰囲気、おかみさんとの会話、それと合わさっての伊勢うどん。その場所で、そのときにしか味わえなかった大事な記憶。土地の食べ物には、そういう力があるんだよね」
インタビューの終盤、「ちとせ」のおかみさんから託された伊勢うどんの麺とタレを永さんにお渡ししました。「うわあ、こんなにたくさん。おかみさんに、くれぐれもよろしくお伝えください」と言って喜んだ永さんのお顔は、今でも忘れられません。数日後、「ちとせ」を訪れて、渡している時の写真を見せつつ、永さんの言葉を伝えたときに、おかみさんが「まさか、何十年ぶりかで、また永さんとご縁ができるとはなあ……」と涙ぐみながら喜んでくれたときの表情も忘れられません。
伊勢うどんはこれからも、永さんと太く長くやわらかくつながりながら、日本の文化を深く愛した永さんの心を伝えていきます。伊勢うどんを食べるたびに、永さんの限りない好奇心、永さんのコシの入った反骨精神、永さんのあたたかさを思い出します。本当にありがとうございました。