先日亡くなられた永六輔さんは、先入観にとらわれることなく地方の文化に温かい眼差しを向ける人だった。永さんに取材経験がある大人力コラムニストの石原壮一郎氏がその想い出を語る。
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たくさんの大切な仕事を成し遂げた永六輔さんが、7月7日、83歳で「大往生」なさいました。心よりご冥福をお祈りいたします。放送作家や作詞家、そしてタレントとしての活躍は言うまでもなく、日本各地に伝わる文化や風習を大切にし、見過ごされてきた価値に光を当て続けてきました。永さんの存在がなかったら、日本はもっともっと薄っぺらい国になっていたでしょう。
永さんは「尺貫法」をはじめ、地方の伝統芸能やお祭りなど、いろんなものを絶滅の危機から救いました。じつは、今では伊勢名物として盤石の地位を築いている伊勢うどんも、そのひとつです。昭和40年代半ばに永さんが伊勢うどんに出合い、とても気に入ってエッセイやラジオで何度も紹介してくれました。そのおかげで、伊勢で愛されてきた独特なうどんの存在が、初めて全国に知られるようになります。
僭越ながら伊勢うどん大使を務めさせてもらっている私としては、50年ほど前に永さんがそうやって切り開いた道のはしっこを歩かせてもらっていて、こんな光栄なことはありません。じつは3年前、伊勢うどんをテーマにした本を作っているとき、永さんに伊勢うどんについてインタビューさせてもらうという幸せな機会をいただきました。
インタビューの一番の目的は「伊勢うどんの名付け親は永六輔である」という説の真偽を本人に確かめること。もともと地元では単に「うどん」「すうどん」と呼ばれていましたが、観光客が誤解しないように区別したほうがいいのではということで、昭和40年代後半から「伊勢うどん」と言われるようになります。
永さんが伊勢でうどんを食べて「これは、ここにしかないうどんだ。伊勢うどんだ!」と言ったことから「伊勢うどん」という名前になった――。そんな説が地元では広まっていました。しかし、関係者からは「いやあ、もっと前からそういう呼び方はあったけどなあ」という声も。これは本人に伺ってみるしかない、と思った次第です。
伊勢うどんとの出合いを話してもらったりしつつ、場があったまってきたあたりで、勇気を出して「伊勢には、永さんが『伊勢うどん』の名付け親という説がありますが」と尋ねたところ、永さんは高らかに笑って、こう答えてくれました。
「ハハハ! そんなわけないよ。伊勢うどんという呼び名は僕が伊勢で食べたときにはすでにあったからね。へえー、そういう説があるの。ハハハ、困っちゃうなあ」
どうやら「名付け親」ではなかったようです。しかし、伊勢うどんの素晴らしさをきちんと評価し、全国に広めてくれた大恩人であることは確か。そんな永さんに敬意を表する気持ちや感謝の気持ちが、そういう説を生んだに違いありません。