2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、ソクラテスの「無知の知」という言葉の意味を紹介する。
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ソクラテスは自身の裁判の最初に、本当の告発者は「風説を広めた人たち」だと言いました。なかでも、喜劇作者のアリストファネスによる戲曲『雲』の影響は大きかったようです。この喜劇の中で、ソクラテスは詭弁を弄して青年を腐敗させる者、として描かれていました。
これらの讒謗に対抗する証人として、ソクラテスはデルフォイの神を立てました。
かつて、友人のカイレフォンがデルフォイの神殿で「ソクラテス以上の賢者がいるか」と伺いを立て、「ソクラテスは万人の中で最も賢い」との神託を得ていました。
これは間違いであろうと考えたソクラテスは、自分よりも賢い人を探し始めました。それぞれの分野で勝れた人たちに会って質問してみると、自分の専門とすることに関しては勝れた知識をもっていても、それ以外のことに関しては何も知らないことにソクラテスは気づきました。
ソクラテスが質問したのは、徳について、そして善や美についてでした。皆、知らないのに知っていると誤解している。ソクラテスは、知らないことを知っている。この「無知の知」によってデルフォイの神託は正しかったことが明らかになり、後年、裁判で神託を用いたのです。
フランシス・ハッチソンの言葉「徳は善の量であり、最大多数の最大幸福をもたらす行為が最善である」も、彼が美と徳の理念の起源を探究する中で到達した考えであり、古代ソクラテスの問いに対する近代啓蒙主義の答えであったとも解釈できます。