1991年6月にはピナツボ火山が大噴火を起こし、火山灰が降り積もったクラーク基地から約1万5千人の米兵や家族が、南西に約60km離れたスービック海軍基地に一時避難した。3か月後、上院議会で基地存続条約が否決されて米軍は撤退に追い込まれ、90年近く続いた米軍基地の歴史が幕を閉じることとなった。
この経緯を語る時、多くは国の独立性という点で称賛されがちだが、その裏で多大な経済的損失を被った事実は否定できない。
「米軍駐留による経済効果はバーだけではない。家族が借りていた家賃も入らなくなり、米兵に販売していた衣料品店、家具店、チョコレートなどの輸入品販売店が軒並み閉店し、経済的損失は大きかったはず」
そう語るのはアンヘレス市役所観光課の副課長だ。特にアンヘレス市の場合はピナツボ火山噴火による被害も重なったため、その経済的損失を割り出すのは難しい。とはいえ基地には最大時で約1万5千人のフィリピン人が働いていたため、補償はされたものの多くが失業状態に陥った。
「ディスコが入居するクラブで警備員として10年近く働いたんだ。時々もらえる米兵からのチップも含めると地元で働くよりは随分と稼げた。だから米軍が撤退した時は寂しかったよ」
といった元労働者の本音も聞こえてくる。
【PROFILE】水谷竹秀●1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒業。現在フィリピンを拠点にノンフィクションライターとして活動中。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で開高健賞受賞。近著に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』。
※SAPIO2016年8月号