フィリピンでは1992年までに米軍基地が完全撤退した。しかし、中国との領有権問題やローカル経済の低迷などから米軍駐留時代を懐かしむ声も聞こえる。在フィリピン12年のノンフィクションライター・水谷竹秀氏が現地ルポをお届けする。
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午前1時、ネオンが明滅するバーに挟まれた通りには欧米、アラブ、韓国系の男たちがそぞろ歩いていた。キャミソールに短パンといった露出度の高いフィリピン人娼婦たちは店の前で客引きを続け、路上に座り込む少年たちはたばこや「サンパギータ」と呼ばれる白い花を物乞いのように売る。朝まで営業しているバーもあるこの界隈は、まるで不夜城の気配を漂わせていた。
「昔ここへ遊びに来ていた米兵たちが、お金やキャンディーをくれたのを記憶しているわ。確か街の消火活動も手伝ってくれたの。私が手配した女の子の何人が米兵と結婚したことか」
とあるバーのママさん、ペルラ(65)はそう語り、1992年まであったクラーク米軍基地内のクラブで働いていた頃の写真を、携帯電話で見せてくれた。ピンクのジャケットを羽織ったペルラが黒人の空軍兵、ダンサーの若い女性と一緒に写っている。それを懐かしそうに眺めながら続けた。
「米軍がまたクラークに戻って来るというような話を最近、聞いたわ。女の子にお金を落としていくから、できれば実現して欲しい」
クラーク空軍基地跡に沿うフィールズアベニューには現在、ビキニ姿の娼婦たちが踊るゴーゴーバーが約90軒ひしめく。マニラから車で2時間北上したルソン地方パンパンガ州アンヘレス市に位置し、戦後しばらくしてから、基地に駐留する米兵のたまり場となって繁盛してきた。
クラーク空軍基地の広さは約6万3千ヘクタールに上り、シンガポールの国土面積とほぼ同規模の広大な米軍事拠点だった。ベトナム戦争勃発後は出撃地として使用された。ところがマルコス政権の1980年代初頭、「基地の存在は独立国家として認められない」、「米政府による内政干渉だ」といった反発から基地撤退を求める機運が本格的に高まり、比米両国で政治的駆け引きが続いた。