英国のEU離脱で改めて注目された「国民投票」という手段。国論を二分するテーマについて、国民の意見を直接反映させる“究極の意思決定”ともいえる。一部の既得権者の専横や不合理な慣習のために変革が進まないテーマについては、日本でもこの最終手段で決着をつけたほうが、世の中スッキリするはずだ。週刊ポスト8月5日号(7月22日発売)では、様々な問題について「国民投票で決めてみよう」と提案。その中で政治評論家の小林吉弥氏は、先ごろ選挙が行われた参議院について「その意義を問い直すべきでは」と訴える。
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7月10日の参院選は全く盛り上がらず、投票率は54%にとどまった。これはつまり、国民が「参院の存在意義」を大きくは感じていないとも見える。
衆参で結論が同じなら「衆院のカーボンコピー」といわれ、ねじれ国会で結論に相違があると「決断できない政治」と揶揄される。だから、いっそのこと「参院を廃止してはどうか」という声が、事あるごとに噴出する。今の体たらくでは、そういわれても議員は必ずしも文句をいえまい。
本来、参院には「大人の議論」が求められている。任期は衆院議員より長い6年で、解散もない。落ち着いた深い議論が期待されている。重要法案や予算について、衆院とは異なる「良識」を発揮してもらう必要があるのだ。
一方で、過去には、参院の強力なチェック機能がはたらいている時代もあった。自民党の参院議員会長を務めた重宗雄三氏、村上正邦氏、青木幹雄氏らは「参院のドン」「法王」などと呼ばれ、絶大な影響力を誇った。
その“力の源泉”の一つとなっていたのが、「特例公債法案」の存在だ。予算案は衆院の議決が優越するが、予算が税収だけで賄えない場合は毎年、特例公債法を成立させて赤字国債を発行しなければならなかった。この法案が参院で否決されれば、予算が執行できなくなる。だから参院の議論、意向を軽視できなかった。