【著者に訊け】池井戸潤氏/『陸王』/集英社/1700円+税
ある人には特に価値のないものが、別の誰かにとっては無二の価値を持つことが、世の中にはままある。池井戸潤氏の新作『陸王』でいえば、廃業した同業者から譲り受けたドイツ製の古いミシンや大事に取っておいた部品の数々だ。いつ役に立つかはわからない。しかし局面次第では他では替えの利かないネジもあり、何より人がそうだった……。
舞台は足袋の一大産地・埼玉県行田市で創業百年を誇る〈こはぜ屋〉。足袋業界も今や年々ジリ貧の斜陽産業に甘んじ、体力と工夫のない者は次々に淘汰されていた。そんな中、社長の〈宮沢紘一〉は足袋の技術を生かした競走用シューズ〈陸王〉の開発を思い立ち、業界有数のシューフィッター〈村野〉や、故障に喘ぐ箱根駅伝の元英雄〈茂木裕人〉らを巻き込んでゆく。
融資を渋る銀行、大手スポーツメーカー〈アトランティス〉の横槍等々、池井戸ファンおなじみの要素は今回も満載。最後まで勝負に拘る彼らの合言葉は〈勝利を、信じろ〉だ。
「ある時、出版社の人たちとゴルフの休憩中に雑談をしていたら、その中にランナーがいてね。最近は雪男の足跡みたいな5本指のシューズが地面を掴む感覚がして人気らしく、そういえば昔、足袋でオリンピックに出た選手がいたな(1912年ストックホルム大会・金栗四三)、だったら足袋屋がシューズを作っても面白いかもしれないと思ったのが、始まりです」
百貨店を経て家業を継いだ宮沢以下、従業員27名のこはぜ屋は、専務の〈富島〉や熟練工員の〈あけみさん〉ら、〈ミシンも古いが社員も古い〉。宮沢は工学部を出て就活中の長男〈大地〉に店は継がせないと公言し、埼玉中央銀行の〈坂本〉が〈何かあるはず〉と熱心に新規事業参入を勧めても、その何かが思いつかない。
「暖簾を守ることと現状維持は違うし、意外と自分の強みって自分では気づけないものかもしれません。今回の坂本は珍しくイイ銀行員だとよく言われるけど、銀行内では恵まれず、後任の〈大橋〉は銀行の都合ばかり言うし、輸入品に押される中、宮沢ならどうするか、あくまで僕はキャラクターと対話しながら記録していっただけなんです」
〈足袋だけじゃ、いけませんか〉と富島が言う気持ちはわかる。だが〈裸足感覚〉を謳う5本指シューズに衝撃を受けた宮沢は、陸王の開発へと動き始める。