日本のお家芸だったマラソンが、世界と闘えなくなって久しい。日本記録は長年更新されず、世界記録を更新し続けるアフリカ勢とは離されるばかりだ。1964年の東京五輪で円谷幸吉が銅メダルを獲得してから、幾多の名ランナーが繋いできた日本の伝統は潰えてしまうのか。ところが、この男だけは諦めていなかった。
「今の日本人だってね、やるべきことをやれば必ず闘えるんです。やっぱり、日本人はマラソンなんだよ」
日本の女子マラソンを世界一に押し上げたパイオニア、小出義雄は、77歳になった今も冷めやらぬ熱い胸の内を語った。
「4年後の東京五輪は81歳になる。そこでね、選手をアフリカ人と競わせて、もう一度金メダルを獲って、国民を喜ばせてから、俺、死んで行こうかなって。そう思うとね、頑張れるんですよ」
1992年バルセロナ五輪で銀、1996年アトランタ五輪で銅の有森裕子、2000年シドニー五輪で日本人初の金メダルを獲得した高橋尚子ら、複数のメダリストを育成してきた。だが、2003年のパリ世界陸上で千葉真子が銅メダルを獲得して以降は、マラソンで大成する選手は出ていない。それでも4年後の金メダルを口にするのにはわけがある。
理想とするランナーに出会った。昨年、愛知豊川高から小出が指導するユニバーサルエンターテインメントに入社した鷲見梓沙(19)である。
「高校2年の全国高校駅伝をテレビで見た時、この子だ! とピンと来た。姿勢が前傾していて、脚がすっと前に出る。日本人にはなかなかいないんだよ。少し腰が落ちてるけど、そんなのはどうでもいいの。強くなれば自然といいフォームになってくるから。入ってくれと、夢にまで見てたよ」
──50年に一人の逸材と。
「去年、5000mを15分17秒(日本学生歴代3位に相当)で走ってるの。昭和40年に高校の教員になって指導者を始めてから約50年経つけど、19歳でそんなタイムで走る選手は見たことがない。あとはスタミナさえつければ、4年後は十分マラソンで勝負できる」