かつて、広島カープは赤ヘル軍団と呼ばれ怖れられた常勝球団だった。しかし、1991年、25年前の優勝以来優勝からは遠ざかっている。当時を知る、安仁屋宗八、達川光男、北別府学の3氏が、常勝時代のチームと現在の違い、かつてのファンと今のファンの気質の違いを語りあった。安仁屋氏は当時投手コーチで達川氏と北別府氏はバッテリーを組んでいた。
──カープが最後に優勝した25年前(1991年、山本浩二監督)、安仁屋さんは投手コーチで、達川さん、北別府さんは現役でした。今のチームは当時より強い?
安仁屋:いや、当時の方が上よ。佐々岡(真司)、川口(和久)、北別府がいた投手王国で、野手も正田(耕三)、野村謙二郎、山崎隆造と、みんな足が使えた。
達川:投手王国を支えたボクのリードも忘れんでね(笑い)。打つ方は今のほうが上じゃろうと思いますよ。当時は和製4番が月替わりで、江藤(智)、小早川(毅彦)、それに西田(真二)っちゅうこともありましたから。
──25年前は広島市民球場が本拠地でした。
達川:そら観客数だけは今のカープに完敗じゃね。一塁ベンチに西陽が差し込むビジター有利の珍しい球場じゃったが、もういつも閑古鳥だった。
北別府:当時は、強くてもお客さんが入らなかったんです。満員になるのは、マジックが一桁になってからでしたよね(苦笑)。
達川:勝って当たり前と思われとった時代ですわ。
安仁屋:ただ、球場に来ると応援は熱い。その分ヤジも凄い。あれはたまらん。
北別府:調子が悪いと真っ先にカープファンが、口撃してきますからね。新しいマツダスタジアムは応援団の席が遠くていい(笑い)。