「駆けっこを取られたら死んだほうがいいと思ってやってきた」
日本中が歓喜に沸いた1日があった。今から16年前、シドニー五輪でQちゃんこと高橋尚子(当時28歳)が見せた軽やかな走りとゴール後の笑顔は、今でも日本人の記憶に刻まれている。その高橋を育てた小出義雄監督(77、佐倉アスリート倶楽部)に会ってきた。リオ五輪直前とあってスポーツ熱が高まるなか、名伯楽の口から漏れ出るのは、日本陸上界への悲観と叱咤と、自らの大いなる夢だった。
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小出の練習メニューは量が破格だ。追い込んで追い込んで、疲労がピークに達したとき、さらに追い込む。走らせる基本は褒めることだ。
「僕は怒ったことはないよ。何やってんだ、根性ねえなと言ったら、選手はやりません。言葉は凄く大事。Qちゃんが苦しい時こそ、『いい走りになったなぁ、いい顔してんねぇ』って。そうすると嬉しいから、もっと飛ばすんですよ。練習に出て来たときの顔を見て疲れてるなと思っても、やれ! とは言わない。『もし、この練習をやったら五輪で勝てるかも知れないよ』と言うとやるんです。監督はね、ペテン師じゃなきゃダメ。俺なんか、二重人格どころじゃない。五重人格だよ(笑)」
選手を褒めて乗せる好々爺──。だが、それだけでは小出という指導者を見誤ってしまう。高橋から聞いたこんな興味深い話がある。
「監督は本当に褒めてくれます。でも、『いいよ』と言っていてもメモ帳には『今日の高橋は最悪だ』と書いていたり、他の人に話していることもある。それに耐えられなくてやめていく選手もいた。監督が本当はどう思っているかを考えて、自分でやらないといけないから精神的にも厳しい。豪快さを装っていますけど、凄く緻密な人です」
笑いながら選手を断崖絶壁に追い込む人──それが実像である。褒める裏には徹底した厳しさがあるのだ。
「選手には日の丸つけて走るんだぞと言っても、他の連中にはアレは素質ないなと言うこともある。そんなのは平気だよ。そこに反発して強くなる子もいるの。要はね、どんな手を使ってでも走らせりゃあいいんだ。全ては結果の勝負だから。プロだもん。情で走ってるわけじゃないんですよ」
静かに話す表情は気迫に満ちていて、背筋が寒くなるような凄みがあった。