【著者に訊け】薬丸岳氏/『ラストナイト』/実業之日本社/1500円+税
〈第一章 菊池正弘〉
〈第二章 中村尚〉
〈第三章 松田ひかり〉
〈第四章 森口絢子〉
〈第五章 荒木誠二〉──。
薬丸岳著『ラストナイト』の各章題には、前科5犯、人生の半分以上を刑務所に暮らす59歳の累犯者〈片桐達夫〉を巡る、5人の話者の氏名がそのままに並ぶ。
当の片桐は何も語らない。35年来の友・菊池やかつての担当弁護士・中村、生き別れた娘ひかりらの独白に、〈顔には豹柄模様の刺青がびっしりと彫られ〉〈左手は義手〉など、その特徴的すぎる特徴や言動が語られるだけだが、あくまでも主役は片桐、その人だ。
出所しても数日後にはまた罪を犯し、それも相手には一切危害を加えない営利誘拐が3回に、ケチな強盗が1回。犯行後はあっさり出頭する。なぜ、彼はそうまでして檻の中に戻りたかったのか。やがて孤高の累犯者の執念の正体が明らかになった時、読者の予断は悉く覆される。
本作は『Aではない君と』で吉川英治文学新人賞を受賞した氏の受賞第一作。14歳の息子が親友を殺した罪で突然逮捕された父親の苦悩と決意を描いた同作は、少年犯罪やその関係者の内面に寄り添ってきた薬丸作品の、集大成といっていい迫力と完成度を感じさせた。
「実は今回も刑務所を出たり入ったりしている人間が、周囲と関わる中で更生する話を書こうとはしたんですが、1人の内面を深く掘り下げるのは前作で十分やり切った感じがあって。いうなれば、Aロスです(笑い)。だったらいっそ、ミステリーに特化しようと思い、累犯者の存在自体が謎になるような話に変えて、技術的にも初めてのことにいろいろと挑戦しました」
そのひとつが、複数の話者が同じ場に居合わせた場合、同じシーンが人数分再現される、リフレインの手法だ。例えば菊池が赤羽で営む大衆食堂〈菊屋〉を出所した片桐が5年ぶりに訪れた時、常連客・荒木もその場にいた。すると菊池と荒木が見た事実は微妙に違い、感じ方も人それぞれだ。
各々事情を抱えた彼らの人生が片桐と関わることで変質していく様子も見物だが、まずは第一章、菊池の話からご紹介しよう。
顔中刺青だらけの片桐を町の人々は恐れ、今日も彼が来るなり客が帰った。だが32年前、片桐は菊池の妻〈美津代〉に絡むヤクザを刺し、それが原因で妻子とも別れたらしい。以来罪を重ねては出所する度に菊屋に顔を出す片桐を、菊池は見限ることはできなかった。
彼の注文は決まって焼きそばだ。肉が入らない代わりに卵でとじた焼きそばを、かつて片桐は妻〈陽子〉と分け合い、いつかは自分も店を持ちたいと夢を語っていた。美津代を乳癌で亡くした今、菊池は思う。〈あの頃はみんな幸せだった〉と。
その後、菊屋には片桐の5件目の事件の弁護人中村が片桐を探しに訪れ、数日後には片桐が見知らぬ女とやってきて、女を中傷した客と喧嘩になった。その時、〈もうここには来ないでくれ〉と告げたことを悔やむ菊池に荒木がかけた〈見放さないでくれる人がいるかぎり、変われる可能性はある〉という言葉の真意や、再び店を訪れた中村が取り持つ片桐とひかりの再会。そして章の最後に〈公園で発砲事件〉と店のテレビが報じる事件の真相が、中村以降の章で少しずつ像を結ぶのである。