全盛期には番組占拠率90%を記録し、実に11年9か月もの長きにわたって続いた。もっとも、落語家になって7年目で始まったこの人気番組によって、本業である落語にはある種の「色」もついてしまった。
「高座に上がるとお客さんはいっぱい入っているんやけど、落語を聞きにきたんじゃなくて、ラジオのような話を聞きたいという雰囲気やった。そういう面では支障が出たし、やりにくかったですね」
そんなある日、ひとりの師匠からこう言われたという。
「10年間、落語を一生懸命やれ。50歳過ぎてうまくなる噺家はいない。60から始めても手遅れ。でも、40歳ならまだ大丈夫や」
鶴光は、落語の精進を続けると同時に、日舞、笛、太鼓、三味線、長唄を習得した。
「落語のためには何でもやっといたほうがいいと思ったんです。噺の仕草にどうしても出てくるからね。歌舞伎、文楽、能、狂言もすべて見ました。自分の芸に取り入れるかどうかは別やけど、やっとくやっとかん、見とく見とかんで違ってくるから」
◆しょうふくてい・つるこ/1948年、大阪府生まれ。上方落語協会会員、落語芸術協会「真打上方」。1967年に六代目笑福亭松鶴に入門。1974年から11年9か月続いた深夜放送『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』で絶大な人気を誇り、その後はニッポン放送『鶴光の噂のゴールデンアワー』のパーソナリティを16年間務めた。東京を拠点に上方落語の発展に尽くし、テレビ・ラジオなどでも幅広く活躍。
◆撮影/初沢亜利 取材・文/一志治夫
※週刊ポスト2016年9月2日号