ノンフィクション作家・佐野眞一氏が3年ぶりに上梓した『唐牛伝』(週刊ポスト連載時は「一九六〇 唐牛健太郎と安保の時代」)は、六〇年安保を牽引した全学連委員長・唐牛健太郎の人物伝である。
佐野氏が「そこに日本の青春時代が映っている」と話す1960年代はどんな時代で、現代日本はその時代から何を学ぶべきなのか。佐野氏が解説する。
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高度経済成長とともに大衆化していく日本社会を憎悪したのが、唐牛の一回り年上の三島由紀夫だった。
三島は割腹自殺を遂げる4カ月前に〈このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。(中略)その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう〉というエッセイを書いている。その予言は見事に的中した。
私は、全学連の若者たちの足跡を追うなかで、彼らも無意識に三島が言うように日本が大衆化した国家になることをうっすらと感じていたのではないかと思いはじめていた。六〇年安保とは、三島の死の10年前に、日本の将来に不吉な翳を見た若者たちの抵抗だったのではなかったか、と。
六〇年安保では、唐牛の目にも、そして対立した岸の目にも、日本という国家の亀裂がはっきりと見えていた。しかしその10年後の全共闘(※注)で軟弱な学生運動をからかった三島は、ついに国家の正体を見破ることはできなかった。
【※注/全学共闘会議。60年安保後、全学連は弱体化。分散した学生運動を、1968年から1969年にかけての大学闘争において再び結集させた学生組織が全共闘である】