急速に広がり、急速にしぼんだ感のある「ポケモンGO」。「まだやってんの?」という鼻で笑われたときの大人の切り返しはなにか。大人力コラムニストの石原壮一郎氏が伝授する。
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「お前、まだ『ポケモンGO』なんてやってんの。よく飽きないねー」
今日も全国各地で、こんな暴言をぶつけられて小さく傷ついている人が、たくさん出現しているに違いありません。まず海外で人気が爆発した「ポケモンGO」が、日本でリリースされたのが7月22日。それから1、2週間は、異常な盛り上がりを見せました。
ある調査によると、リリース3日で1,000万ダウンロードを突破したとか。街にはスマホ片手にウロウロする人の群れがあふれ、テレビでもネットでも職場でも「ポケモンGO」の話題で持ちきりでした。今思えば一種のお祭り状態だったと言えるでしょう。
しかし、リオ五輪が始まったころからそっちに関心が移ったのか、世の中全体の「ポケモンGO熱」は急速に冷めていきます。とはいえ、流行っているからとホイホイ飛びついたヤジ馬的な人たちがすぐに飽きただけで、現時点でも「日本でいちばん多くの人が楽しんでいるゲーム」であることは間違いないでしょう。
ホイホイ飛びついてすぐ飽きたヤジ馬に限って、文字通り地に足をつけて楽しんでいる人をバカにしたがります。「まだやってんの」と時代遅れ扱いして鼻で笑ったり、「もう誰もやってないよ」と決めつけて変人扱いしたり、自分が面白がれなかったことを正当化するために「あんなゲーム、どこが面白いの」と腐してみたり……。
何事にせよ流行りものに対する「その他大勢」のスタンスはしょせんそんなもんだとわかってはいても、楽しんでいる側としてはけっこう不愉快です。かといって「一時的に飛びついた人たちがやらなくなっただけで、ブームが去ったみたいに言うのはあまりにも軽薄じゃないかな」と正論を返すわけにもいきません。軽薄という指摘は見事に図星を突くことになるので、確実にケンカになるでしょう。
その場の平和を優先して「アハハ、そうだよね」と笑ってごまかすだけでは、自分の中に屈辱感が残ってしまいます。たとえば、こんなセリフを返してみるのはどうでしょうか。
「あー、やめちゃったんだ。もうちょっと続けたら、最初のころとは比べものにならない深い面白さを味わえたのに。まあでも、好みに合わなかったんだから仕方ないよね」
相手は自分が知らない快楽をこっちが味わっていることに対して、激しい悔しさを覚えるはず。「べ、べつにそんなの興味ないよ」と捨て台詞のひとつも吐いてくれたら、完膚なきまでに返り討ちにした実感を味わえるでしょう。本当に深い面白さを感じているかどうかは、この状況においては些細なことです。