8月23日に自叙伝『二世』(新潮社)を上梓した、伝説のシンガー・尾崎豊(享年26)の一人息子である尾崎裕哉(27才)。父の死から2年後の1994年夏、5才だった裕哉は、日本の喧噪を離れ、母親とアメリカ・ボストンへ移住する。
父のことを知りたい――小学6年生になると父の楽曲の虜になった。2005年、15才で帰国。アメリカンスクールに通学しながらも、「日本語で歌詞が書きたい」「歌手になりたい」という思いは強まっていった。しかし“尾崎豊”と比べられる以前に、日本語がままならない。11年間の米国生活で日本語を忘れかけていた裕哉の、血のにじむ努力の日々が始まった。
寝る間も惜しんで日本語を習得し、慶應大学に進学。アメリカンスクールからの合格は異例のことだった。22才になる直前、裕哉は転機を迎える。それは不思議な夢から始まった。
「テーブルの上のアルバムをめくっていくと、幼稚園、小学校、中学校と成長していく僕と一緒に父が映っているんです。現実にはあり得ないものですが、起きた時は涙が流れていました」(裕哉・以下、「」内同)
この夢を大学の心理学の先生に明かすと、「父親がなぜ死んだのかを知っているか?」「自分への宿題だと思って、お母さんに聞いた方がいいよ」とアドバイスされた。数日後、実家に帰った裕哉は、夕食を終えた後、勇気を持って母に切り出した。
「パパはなぜ死んだの?」
母は、覚悟を決めたように正面から全てを話してくれた。尾崎豊の人となり、なれそめ、生前苦しんでいた人間関係、彼の孤独…。
《母親の声は徐々に震えて、いつしか大粒の涙をこぼしていた。(中略)母親の言葉は鮮明なイメージとなって僕に伝わった》
自分の中に息づく父の血を感じ、同時に女手一つで自分を育てた母への感謝が溢れた。9月5日に先行配信されたデビュー曲『始まりの街』にもその想いが込められている。
『僕は幸せさ これまでもこれからも あなたの笑顔照らしてよ 導かれるままに二人は生きているのさ』
この歌詞は、母に捧げたものだった。
――尾崎豊と自分は似ていると思いますか?
そんな質問をすると、彼は少し悩んでこう答えた。