当意即妙とはいえない。自分の頭と言葉で答えようと、しばし押し黙る。その沈黙が山崎拓という政治家の重みを物語っていた。政界引退から4年、回顧録『YKK秘録』を今夏に上梓し、盟友・加藤紘一氏を失った今、この男は何を思うのか。ジャーナリストの青木理氏が地元・福岡を訪ねた。
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憲法解釈の変更という搦め手を弄して集団的自衛権の行使に舵を切った安倍政権。これに猛批判が吹き出したのは記憶に新しいが、自民党で要職を務めた重鎮政治家も次々と懐疑の声をあげ、注目を集めた。
古賀誠。亀井静香。武村正義。村上正邦。藤井裕久。ある者は会見を開き、ある者は雑誌に寄稿し、ある者は共産党機関紙「しんぶん赤旗」のインタビューにまで登場し、現政権の暴走に警鐘を鳴らした。
一方、本来なら真っ先に声をあげたはずの男は沈黙した。加藤紘一。自民党でも生粋のハト派として知られた加藤なら、政権批判のトーンも一際強いものになったに違いない。
だが、加藤は声をあげられなかった。長きに及ぶ闘病生活の末、ついに9月9日、永眠。享年77。葬儀では、小泉純一郎とともにYKKと称される盟友関係を築いた山崎拓が弔辞を読み、「最高最強のリベラルが去った」と加藤の死を惜しんだ。
その山崎も最近、政権の有り様に懐疑的だという。しかし、はて、と首をひねる。タカ派として鳴らした山崎は、9条を含む改憲を訴えていたのではなかったか。なのに何を懸念し、何を案じているのか。
「自民党のいいところは多様性だった。その党内で政権交代をやっていく構造になっていたわけです。だけど、今は単色。というより、無色透明、個性がない。個性と個性がぶつかり合う政治のダイナミズムがない」
開口一番、山崎はそう嘆いた。考えてみれば、YKKは確かに多様だった。タカの山崎、ハトの加藤、変わり者の小泉。山崎が苦笑まじりに振り返る。
「小泉は不思議な男でね。総理になるまで外国に行ったことがない。議員は大型連休に外遊するのに、彼は外国に関心がなかったんだ」
──その小泉氏が首相になり、日朝首脳会談などを成し遂げたのだから、政治的な勘はピカイチなんでしょう。
「ローマ皇帝が『人心を掌握するにはパンとサーカスを与えよ』と言ったらしいね。小泉がよく僕に話してたよ。パンは経済・生活。サーカスは人を驚かせるような政治。彼の電撃訪朝もそう。僕は加藤をして『最高最強のリベラリスト』と言ったけれど、小泉は『最高最強のポピュリスト』ですよ」