自分の「最期」について考えるとき、最も身近な“お手本”となるのは、両親が亡くなった時のことではないだろうか。厳しかった父、優しかった母はどうやって人生を締めくくったのか──。作家・エッセイストの阿川佐和子氏(62)が、「父の死」に際して見たこと、学んだことを明かす。
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父・阿川弘之(作家)は老人病院(介護療養型医療施設)で3年半の入院生活を送り、2015年8月に亡くなりました。私は臨終に間に合いませんでしたが、暴れるとか苦しむことなく、穏やかに旅立ったそうです。
94歳という高齢でしたが、ドラマのように「そろそろ最期だから、お前にいっておくことがある」というような場面は全くなかった(苦笑い)。
食べることには最後まで興味があったけど、私が作ったトウモロコシの天ぷらを口にして、「まずい」と吐き出していたくらいで、死の床でも深刻な会話はありませんでした。
元々、私たち親子はそんなにセンチメンタルな関係ではありません。新著の『強父論』でも様々なエピソードを紹介しましたが、小さい頃は怖いだけの存在。私が成長してからは幾分は会話が増えて、仲良くすることもあったけれど、常にいつ怒られるかわからない恐怖がありました。父におねだりなんて一度もしたことないですからね、私。
それほど厳格な父でしたが、入院すると少しずつ衰弱していきました。毎日ベッドに寝たきりで自由が利かず、排泄もままならない。楽しみといえば食事と読書だけで、何度も「もういい加減、死にたいよ」と口にしていました。
それでも頭はかなりしっかりしていて、「アレを持って来いといったのに忘れたのか!」「そのコップじゃない!」と相変わらず病室で私は叱られてばかりでした。上司に仕える部下になったつもりで接していましたが、亡くなる半月ほど前、意味の通らないことを口にしたときは、「こんなことはいままでなかったのに」とショックを受けました。