自分の「最期」について考えるとき、最も身近な“お手本”となるのは、両親が亡くなった時のことではないだろうか。厳しかった父、優しかった母はどうやって人生を締めくくったのか──。宗教学者の島田裕巳氏(62)が、「父の死」に際して見たこと、学んだことを明かす。
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私は著書『もう親を捨てるしかない』で、「親捨て」を提唱しました。
頻発する介護殺人や介護心中に見られるように、現代の「家族」は極端に疲弊しています。自分を犠牲にしてまで親の面倒を見るのは本当に正しいことなのか、親子共倒れを避けるにはどうすべきなのか──そんな思いで「人非人」との批判も覚悟で提案したのが「親捨て」でした。
そうした考えには、10年前の父の死が影響しているのかもしれません。
大正生まれの父は太平洋戦争でラバウルに従軍し、戦後は工務店に勤めました。高度経済成長の波に乗り、仕事は順調で羽振りがよく、私は“お坊ちゃま”として育ちました。
ところが、私が17歳の時、父の勤める会社が倒産して、家を失った一家は大阪に引っ越しました。公立の進学校に通っていた私はひとり東京に残り、賄い付きの狭い下宿で暮らし始めました。それ以来、父と暮らしたことはありません。
その後、東京で妹夫婦と同居を始めた父は長く生きましたが、さすがに80歳を過ぎてからは体力が落ち、外出もしなくなりました。
亡くなる前の父は内臓の機能が弱っていて、腎臓の数値を見た医者が「生きているのが不思議。手の施しようがない」とサジを投げたほど。あまりに苦しそうにしていたので、医師がモルヒネを投与すると精神が高揚してハイになったようで、昔の思い出を楽しそうに語っていました。