何かと世間を騒がせることも多い有名人の“2世”。親が甘やかした結果なのでは? などといわれることもあるが、そればかりではない。あまりにも厳しく理不尽すぎた阿川佐和子さん(62才)の「強父」が注目を集めている──。
阿川さんの父は、昨年亡くなった作家の阿川弘之さん(享年94)。父との思い出を綴った『強父論』(文藝春秋)が、ベストセラーになっている。阿川さんは「何がそんなにウケているのかわからないが、父がかなり珍しい動物だということは認めます」と話す。
生前から「父を讃える本を出すな」と言われていた阿川さんは、いかに父が無茶苦茶な人で家族がひどい目にあわされたかを丹精込めて書いた。
例えば、幼稚園のときに体験した「恐怖の夕餉事件」。家族で食卓を囲みながら、父に幼稚園であったことを「今日ね、幼稚園でね」と話し始めるやいなや、「何が言いたいんだ! 結論から言え!」と怒号が飛ぶ。あまりの剣幕に泣き出した阿川さんを、「食事中に泣くな、黙って食べなさい」とさらに叱る。阿川さんは、「怖くて悲しくて吐きそうだった」と当時を振り返る。
自分の誕生日でも、気は抜けない。「何が欲しいんだ?」と聞かれ、何と言えば怒られずに済むかとあれこれ考えているうちに、「そうだ、うまいものを食べに行こう」と勝手に決められてしまう。もちろん、文句など言えるわけではなく店についてゆく。会計を済ませて外に出ると夜の風が肌寒い。思わず、「うわ! 寒い」と叫ぶと、「どういうつもりだ」と鬼の形相。「お前の誕生日だからとわざわざ来てやったんだろう。まずは『ごちそうさま』だろう」。
戦後生まれの阿川さんが子供だったころは、弘之さんほどでなくても、こんなふうに派手に怒鳴る父親はそんじょそこらにいた。弘之さんと同世代の佐藤愛子さん(92才)も『九十歳。何がめでたい』(小学館)で、当時の父親像についてこう綴っている。
《好きも嫌いもない、ただ怖い存在だった。子供の気持なんか何もわかってくれない、わかろうともしない人たちだと思うけれども、向うの方がエライのだから仕方がない。》
一方、時代は変わり、平成のお父さんは「優しくて物わかりの良い」がスタンダードで、阿川さんの「強父」とは正反対だ。阿川さんの周りでも「子供を怒れない」という親は多い。
「私の周囲の若いお父さんから話を聞くと、やっぱり『叱れない』って言うんですよね、何人も。どうして? って聞くと、『嫌われたくないから』と。とくに、娘。『息子は怒るけれど、娘にはやっぱり嫌われたくなくて、叱れない』って。それを聞くと、なんでみんなのお父さんはそんなに優しいの? 私は毎日あんなに泣いてたのに、と嫉妬しちゃいます。もう一度、父の元で育ちたいかと言われたら絶対に嫌ですし、ああ、今日もお父さんに怒鳴られて嬉しいなと思うほど私もマゾじゃないです(笑い)。だけど、家の中に絶対的に怖い存在がいることで身が引き締まったというのはあります」(阿川さん)
阿川さんの父と母は知人の紹介で出会い、結婚。「女はバカだ」「何もできない」と、母を怒鳴り、虐げ、泣かせてばかりいた。今と違って当時は、一度嫁いだ娘が夫婦げんかごときで実家に帰るのはみっともないという世間体があった。阿川さんは「離婚したら?」と何度も母に語りかけたという。しかし母はいつも言っていた。「離婚したからって、何にもできないんだから。生きていけないわよ」と。これほど横暴な夫になる前に手立てはなかったのかを責め立てることもあったが…。
「でも私がお父さんと結婚してなかったら、あんたは生まれていないんだからね」
そんなところに、阿川さんは自分が思う父と、母が思う父には多少の隔たりがあると、子供心に感じていたという。
「私は、生き残っていくためには父に従わなければならなかった。ご飯を食べられなくなる。学校にも行けなくなるから友達を失うことになる。“私は間違っていないのに”と思いながらも、『ごめんなさい』と謝っていました。でも、間違っていないのに従わなくてはならないことは、社会に出ても山のようにありました。だから、若いうちに父を通して理不尽さを経験できたのは、ラッキーなことだったかもしれません」(阿川さん)
佐藤さんの『九十歳。何がめでたい』でも前述した箇所の後に、こう続いている。