コラムニストでデイトレーダーの木村和久氏が、近頃気になるニュースをピックアップし独自の視点で読み解きます。今回は、テレビ業界の現状に見る、芸人の在り方を考察。
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最近、とんねるずの石橋貴明が、お笑いやバラエティが、なぜつまらなくなったかを語っているけど、あなたが言うか?みたいなところがありますよね。テレビ業界の自主規制や閉塞性がテレビをダメにしたと言っているけど、よく聞く正論だし…。
テレビやお笑いに意見するのなら、自分の芸風についても見解がほしい。相変わらずのパワハラ&セクハラ芸ばっかりだし、そこはどう思っているのだろうか? ぜひ知りたいです。この前、特番でテレビカメラを壊したけど、それって『オールナイトフジ』でもやったことじゃん。30年間、芸風変わらずだ。
石橋貴明の良さは、一切弁解や解説をしないことだった。彼の唯一の解説は、青木功のかぶりものをして、落とし穴への落下スタイルを語るだけ。あとは、ただひたすら弱いものをいじめ、若い女性にセクハラし続ける。それで傍若無人のジャイアンキャラが際立ち、ひとつの芸が確立されていた。賛否両論あるが、芸としては成り立っていたと思う。今後はわかりませんけどね。
ところが、ここにきて突如、石橋貴明は芸能論を語りだした。
実はこれ、エンターテインメント界の、大きな流れが一因していると思う。つまり従来の漫才やコント、あるいは集団での体育会ロケみたいな「お笑い芸人」のする仕事が減っているのだ。代わりに、バラエティやワイドショー、トーク番組全盛となり、司会を含めた「トーク芸人」が、いまや主流となっている。気づけば、古典的なお笑いをやっているのは石橋貴明など、数えるほどしかいない。ビートたけしをはじめ、松本人志、ロンブー淳など、みんなトークの場にシフトしているのが現状だ。
そのトーク全盛時代に乗り遅れまいと、うすうす気づいた石橋貴明が語りだしたのでしょう。いまさらそこに行っても、居場所はないですよ。石橋貴明は「この人、何考えているのかわからない?」というキャラでいいと思う。江頭2:50がトークしても仕方ないでしょ? それと同じ。語らない美学もあるのではないでしょうか。
いつの間にか関口宏もどきになった恵俊彰は、スマートに司会をこなすけど、豊洲市場の地下空間がテーマの時、「立方メートル」の記号が読めなかった。素直に「なんて読むの?」って聞いたのは謙虚でいいと思うけど、ちょっとね。ほかにクイズ番組でも、これは知ってるだろ級の問題が解けなかった。そこで「やっぱりこの人お笑いだったんだなと」改めて認識した次第。このように、芸人がトーク番組やMCをやると馬脚を現わすことが間々ある。