千葉県佐倉市臼井町にある長嶋茂雄氏(80)の生家が廃墟化し、近隣住民は敷地内へのゴミの不法投棄や害虫被害に悩まされている。この家にはかつて茂雄氏の兄が住んでいたが、5年ほど前に亡くなった後はその息子、つまり茂雄氏の甥が相続した。が、その甥は千葉市で暮らしているため、生家は長く空き家になってしまっているという。住民のなかには、茂雄氏に処分を求める声もある。が、古くからの長嶋家の知人はこう話す。
「この家は長嶋さんにとって、大好きだったお母さんやおばあさんとの思い出が詰まった大切な場所です。簡単に処分なんてできないでしょう」
特に母・ちよさんなくして、長嶋氏のプロ野球選手としての成功はありえなかった。長嶋氏が野球を始めたのは、終戦後まもない小学生時代。当時は物資も乏しかったため、母がボールやグローブを手作りしたという。立教大1年時に父・利さんが他界した後は母が行商をし、一家の生活を支えた。
その存在は大きく、母の「在京球団にしてほしい」の一言によって、入団が確実視されていた南海ではなく、巨人入りを決断したと伝えられているほどだ。
「プロ入り後も長嶋さんは頻繁にお母さんとおばあさんに会いに来ていた。騒ぎにならないようにと気を遣い、裏手に車を停めて、田んぼを歩いて家に入っていた。おばあさんも着飾って『東京まで茂雄に会いに行くの』と嬉しそうによく出かけていった」(同前)
里帰りは第二次監督時代の1994年に母親が亡くなるまで続いたという。シーズン中に番記者を引き連れて帰省することもあった。
「母親の死以後、生家に足を運ぶ機会も減り、佐倉の話題を出すことも少なくなった。きっと母親や祖母との思い出を胸の奥にそっとしまっておきたかったのでしょう」(長嶋氏を知るスポーツジャーナリスト)