リオ五輪が終わった8月末、「感動ポルノ」という言葉が話題になり、広まった。チャリティ番組として知られる「24時間テレビ」(日本テレビ系)を放送中に「バリバラ」(NHKEテレ)が障害者と感動を結びつける方程式を検証する生放送をしたからだ。感動ポルノとはいったい何か、その後、開催されたパラリンピックを通して障害者スポーツはどうあるべきと感じたのかについて、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が振り返る。
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「障害者は、みなさんの感動の対象ではありません」
コメディアンでジャーナリストの故ステラ・ヤングさんは、障害者を「感動ポルノ」にしてしまう風潮を批判した。
骨形成不全症の小さな体で車いすに乗った彼女が、自らの体験をユーモアや皮肉たっぷりに語る映像がインターネットにアップされている。感動ポルノとは、障害者をモノ扱いし、感動のための道具にしている、という意味だ。
「障害者を特別な存在と思わないでほしい。私たちは悪でもないけれど、立派でもない」
ドキリとする指摘である。
8月末、感動ポルノをめぐって、ちょっとした論争があった。今年で39回目となった日本テレビ系の「24時間テレビ 愛は地球を救う」の裏に、「バリバラ」(NHK Eテレ)が「検証! 『障害者×感動』の方程式」という生放送をぶつけてきたのだ。出演者は、「笑いは地球を救う」と書かれた黄色いTシャツまで着ている。「愛は地球を救う」のパロディであることは言うまでもない。
このバトルを知り、少しずつだが、新しい時代がやってきているような気がした。
もちろん、「24時間テレビ」が多額の寄付を集め、車いすや福祉車両、難病患者支援、障害者スポーツ支援、地震災害への緊急支援などとして使われてきたことは大きな社会貢献だと思う。
だが、そこに描かれる障害者像というのは、「障害という不幸を抱えながら、健気に、前向きに生きる人たち」というステレオタイプになりがちだ。
「バリバラ」は、それに異を唱えたいのだろう。脳性麻痺や多発性硬化症の当事者が「不幸な存在と勝手に思わないでほしい」とつっぱねた。障害があっても生き抜くことができたのはどうしてかという質問には、あっけらかんと「イケメンの先生と時間のおかげ」と、期待を裏切る答えをして笑わせる。
ぼくたちは「障害者」という属性だけをみて、その人がどんな人間かみようとしていなかった。そのことを思い知らされる「バリバラ」の笑いは、ちょっぴり苦かった。それから1週間ほどして、リオ・パラリンピックが開幕した。連日、テレビの前で、夢中になった。「感動ポルノ」なんて、そこにはなかった。