かつては大賑わいだった百貨店が今、苦境に立たされている。9月30日、日本最北端のデパート、西武旭川店(北海道・旭川市)が閉店した。同店最後となる物産イベント「全国うまいもの大会」は多くの買い物客で盛り上がり、感極まって涙する人も。ここだけではない。今年だけでそごう柏店、西武春日部店など4店舗が、来年には三越千葉店や堺北花田阪急など、5店舗が閉店を予定している。
《当店販売の商品は今後一層その種類を増加し、およそ衣服装飾に関する品目は 一棟御用弁相成り候 設備致し、結局米国に行はるるデパートメント、ストアの一部を実現致すべく候》
日本のデパートの歴史は1905年、この三井呉服店(現・日本橋三越)の高らかな「デパートメントストア宣言」に始まる。
それまでは買い物をするたびに商品の値段の交渉をする「座売り」が基本だった。しかしこのデパートメントストア宣言から、商品の値段を決め、誰でもその値段で買うことのできる「陳列式」へと切り替わったほか、ショーウインドーや食堂の設置など、現在の日本のデパートの土台が出来上がった。
世界初のデパート、ボン・マルシェ(フランス・パリ)から50年ほど遅れをとったものの、東京・日本橋からはじまった日本のデパートは、名古屋や大阪、九州など、急速に全国へと広がっていった。
そして1929年、「モダンガール」の流行とともに、のちに「職業婦人」の代表となる「エレベーターガール」が松坂屋上野店で誕生する。その時の新聞の見出しにはこうある。
《昇降機ガールが日本にも出来た 上野松坂屋の新館で初試み 婦人職業の新進出》
日本初上陸の「昇降機ガール」を一目見ようと、全国から老若男女が集まった。
「あの頃の女の子の憧れは、なんといってもエレベーターガールでしたよ。素敵な制服を着て、高級なものに囲まれて、きれいにおめかしして働ける。今の女子アナというのかしら。男性誌では、どこのエレベーターガールがいちばんきれいかっていうミスコンのようなものをやってたから、週末になると噂のエレベーターガールがいるデパートのエレベーター前には長蛇の列ができたものですよ」(鈴木幾代さん・仮名・86才)
戦時中は空襲で焼失したり、戦後はGHQによって占領されたりと、何度か危機はあったものの、戦後復興とともに出店が相次ぎ、再び、デパートは日本人が憧れる「家族で楽しめる幸せなところ」になってゆく。漫画『サザエさん』にも、頻繁にデパートへ行く描写が出てくるのを覚えている人も多いだろう。一家でおめかしして出かけるのは決まってデパート。サザエさんとマスオさんがお見合いしたのもデパートだった。ちなみに場所は、福岡・天神にある老舗百貨店岩田屋の食堂。あまりに混雑していて周りの人たちの目が気になって、恥ずかしいからとふたりは結婚を即決した。
「子供の頃、私にとってデパートはディズニーランドのようなものでした」と当時を懐かしむのは、『デパートへ行こう!』(講談社)の著者である、作家の真保裕一さん(55才)だ。