王者・青学大が優勝した出雲駅伝の5日後に行なわれた箱根駅伝予選会──そのドラマを、誰よりも現場に足を運ぶウェブメディア「EKIDEN NEWS」の主宰者である「博士」こと西本武司氏がレポートする。また、箱根駅伝への87回連続出場を逃した直後の中央大学の1年生主将・舟津彰馬の「魂の挨拶」を全言紹介しよう。
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10月15日、箱根駅伝予選会の20kmレース直後、11位で予選落ちした中央大の選手たちは無数のカメラに取り囲まれていた。
大正時代から続いた連続出場記録が87回で途絶えたことは大きく報じられ、今年7月に1年の舟津彰馬が異例のかたちで主将に抜擢されていたことも、各種メディアで紹介された。
「1年に主将は無理。チームもまとまらなくて予選落ちしたんだろ」──そんな声も聞こえてくる。
断言しよう。全く違う。そう思っている人たちに言いたい。“そこに一列に並べ。ビンタするぞ”と。舟津が主将になる前、中央大はどんな状態だったか。
6月の全日本駅伝予選会では20校中17位で敗退。神奈川大と創価大が故障者を出して棄権しているので事実上、“下から2番目”だった。箱根予選会に換算すれば、6月時点では15位程度の実力しかなかった。その中央大がわずか3か月で今回、10位の日本大に44秒差まで迫ったのである。
立て直しの立役者が舟津だった。もともと中距離(800m、1500m)が専門でありながら、今回の予選会20㎞では学内6位。リザルトを見ると仮に舟津がいなければチーム全体で2分以上タイムが悪くなっていた計算になる。
しかも、わずか1か月前の日本インカレ1500mで舟津は2位に入った。これがどれほど凄いことか。スパイクを履く中距離とマラソンシューズで走るロード20kmは、同じ走る競技ではあるが、フォームもトレーニングも違う。それでも舟津は結果を出し、チームを引っ張った。
箱根予選会では他の選手が踵までの靴下を履く中、舟津だけがスネの下まであるソックスを履いていた。あれは「ナイキエリート2.0クルー」と見受けた。不安のあるロードで、足首やアキレス腱がよりサポートできる靴下を選んだのではないか。いや、そうに違いない。