宮藤官九郎は、この街の喫茶店をハシゴして数々の名作を世に送り出した。又吉直樹が芥川賞を受賞した『火花』の舞台もこの街。敬愛してやまない太宰治の住まいがあったから、又吉は上京した時、迷わずこの街を選んだ――。
今年こそ恵比寿に明け渡したものの、10年間にわたって、東京の「住みたい街ランキング」の1位に君臨してきた東京・吉祥寺(武蔵野市)。そこは多くの人々の憧れの地、のハズだった…。
吉祥寺が広く名を馳せるようになったのは、1917年。日本初の郊外型公園として『井の頭公園』が誕生したことから。高度経済成長期には、吉祥寺パルコなど次々とショッピングモールができていった。
1937年に松本清張や山田洋次がひいきにしていた歌舞伎劇団『前進座』ができたのを皮切りに、ジャズ喫茶やライブハウスが登場。宮藤官九郎氏(46才)や西原理恵子氏(51才)、志茂田景樹氏(76才)など、文化人だけでなく、例えば小栗旬(33才)が「ぼくが好きだった場所を子供にも好きになってもらいたい」と『井の頭公園』について語るなど芸能人がフツーに暮らす街としても知られるようになった。
武蔵野台地という自然豊かな土地に、古の文化と歴史が根づき、一方でおしゃれなカフェや雑貨店なども並ぶ。それゆえ納得の人気。しかし市内の公立小学校で教員をしていたA子さん(46才)がため息をつく。
「同じ武蔵野市内の『関前』から『吉祥寺東町』の小学校へ異動したのですが、保護者会や三者面談で“前の学校では…”と話を出した瞬間、“先生が前にいらっしゃったのは吉祥寺地区外ですからねえ”と遮られて…。ここは有名私立小…? とツッコミたくなるくらいの選民意識をバシバシ感じました」
この『吉祥寺地区』とは、吉祥寺北・南・東・本町の4つの町に御殿山を足した地域を指す。いわゆる高級住宅地で、例えば家族向けの3LDKマンションの相場で比べると、その差は歴然。吉祥寺が約23万円なのに比べて、すぐお隣の三鷹では約18万円。山手線沿線の大塚でさえ17万円台なのに、である。
「特に吉祥寺地区の一戸建ては、同じ武蔵野市の別区域と比べて、保護者の職業に医師や弁護士、有名企業に勤めるかたが多く、明らかに学歴や年収も高かった。家の敷地面積も広くて、庭の手入れもしっかりされていましたねえ…」(前出・A子さん)
東京・港区東麻布からこの地へ越してきて20年以上経つというB男さん(61才)は、「東麻布と同じにおいがする」と、ドンと胸を張る。