「生涯一捕手」を標榜した野球評論家の野村克也氏(81)は、今のプロ野球界に大きな危機感を持っているという。新刊『野村の遺言』も話題の野村氏が展開する「捕手論」は、傾聴に値する。
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プロ野球のレベルは低下している。そしてその大きな原因は「キャッチャーの不在」にある。
最近は力一杯投げて力一杯打つことが「力と力の勝負」であると、選手も監督も、ファンも信じて疑っていないように感じる。そこにあるのは単なる打ち損じ、投げ損じの結果だ。こんなただ投げて打って走ってというものは野球ではない。
野球には「間」がある。一球投げて休憩、一球投げて休憩……この「間」は何のためにあるのか。「考え、そなえるためにある」のだ。
野球は「頭のスポーツ」なのである。選手の能力だけでは勝敗は決しない。一球ごとに生じる「間」を使い、刻々と変化する状況を見極めて最善の作戦を考える。結果、弱者が強者を倒す意外性が生まれるから面白いのだ。そこに野球というスポーツの醍醐味がある。
その中心を担うのが、監督の分身であるキャッチャーなのである。
私は「キャッチャーは脚本家」であると思っている。キャッチャーがサインを出し、それに従ってピッチャーが球を投げ選手が動く。試合という「舞台」は、キャッチャーの書いた「脚本」で決まるからだ。
映画界にはこんな名言があるという。
「いい脚本からダメな映画が生まれることはあっても、ダメな脚本からいい映画が生まれることは絶対にない」
野球も同じだ。キャッチャーが良い脚本を書けなければ、名勝負という良い“作品”は生まれない。たとえ大谷翔平という“名優”がいても、活かすことはできない。プロ野球のレベルが下がっているのも無理はないというわけだ。