湾生。この耳慣れぬ言葉は、戦前の台湾で生まれ育った日本人を指す。多くは終戦とともに日本に帰国した。そんな彼らが人生の晩年に差し掛かった今、再び“心の故郷”台湾に足を向けている──。
昨年、台湾で湾生たちの帰郷に迫ったドキュメンタリー「湾生回家」が公開されるや、一大ブームを呼んだ。何が台湾人の胸をうったのか。日本人はそこから何を学び取れるのか。11月上旬には日本公開も控えるなか、台湾に精通するジャーナリストの野嶋剛氏が3人の湾生の元を訪ねた。
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日本の台湾統治は半世紀に及んだ。東海岸の花蓮や台東などに移民村がいくつも作られ、チャンスを求めて多くの日本人の農民が移住した。彼らは世代を重ねて台湾で生活の基盤を築いたが、敗戦で帰国を余儀なくされた。50万人の台湾引揚者のうち、20万人以上が湾生だったとされる。
戦後70年を経て、台湾を再訪する湾生たちを描いた「湾生回家」は台湾で昨秋に公開され、ドキュメンタリーでは異例の3200万台湾ドル(約1億円)のヒットとなった。
台湾では、戦後、中国史観に立つ国民党による「反日教育」が展開された。日本の植民地統治について搾取や強権など負の面が強調され、国民党寄りのメディアや学者らが主導する言論空間では、日本人と台湾人の友情や交流を取り上げる内容は「日本統治の美化」だとして排除された。
しかし、近年では、台湾自身の歴史を中心に据える「台湾史観」が主流となり、日本統治も台湾史の一部であり、いい面も悪い面も知るべきだとする考え方が広がった。最近では高校野球で嘉義農林の甲子園での活躍を描いた「KANO」などの映画が大ヒットし、タブーは取り払われつつある。映画「湾生」のヒットも、「日本統治の再評価」の一環にあるものだ。「台湾意識」の強い若者たちにかえって「湾生回家」は熱狂的に受け入れられたという。
映画と同名の原作を書いた陳宣儒(ペンネーム:田中實加)は、日本人の祖母が湾生だった。祖母の死をきっかけに湾生の物語を後世に残そうと決意。台湾を訪れる湾生を探し出し、同行して記録する作業を何年も続けた。書籍も8万部のヒットとなり、中学・高校の補助教材に指定された。