「処女作にはその作家のすべてがある」という。作家・三島由紀夫にとっては、16歳の時に書いた短編「花ざかりの森」がそれにあたる。だが、長らくその生原稿の所在は不明であり、研究者の間では失われたものと思われていた。
1970年11月に自決してから46年の時を経た今、三島研究で知られる文芸評論家・西法太郎氏の手により、その生原稿が発掘された。そこに記されていたのは、まさに作家・三島由紀夫の誕生の瞬間だった。西氏がレポートする。
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平岡公威という名前をご存じだろうか。作家・三島由紀夫の本名である。
まだ一六歳の平岡少年が、はじめて三島由紀夫のペンネームで書いた作品が「花ざかりの森」だった。原稿用紙七〇枚ほどの短編で、これが処女作となった。
処女作というだけでなく、そこにはすでに後年の“三島文学”の文体の装飾性、作品構成、展開の仕方の萌芽が見られる。さらに遺作となった長編『豊饒の海』のモチーフまで含まれているのだからおどろかされる。
これが書かれたのは先の大戦に突入する直前の昭和一六年の初夏だった。しかし記念すべきこの作品の原稿を戦後見たものはいなかった。戦災などで失われたものと思われていた。もし誰かが所持していれば、年月を経て相続した親族が古書市場に出すものなのに、それもないからだ。
しかし、じつは三島と所縁のあった人物の親族によりずっと秘蔵されていたのだ。