安倍夜郎は曲からの想像だけでマンガを描いたのだが、当時の「やぐら」は『深夜食堂』の感じと似ていたのだろうか? 山口さんは、「そうそう、あんな感じ」と笑う。
「タクシーの運転手が多くて、あとは水商売の人。他は、ややこしい人とか。
まあ、いろいろでしたわ」
客層はたしかに『深夜食堂』だ。でも、当時の山口さんはまだ若者。こんなに優しげな性格で、ややこしい客のあしらいができたのだろうか。
「時代が違いましたからね。串カツの値段は今とまったく同じでしたけど、お兄ちゃん、釣りはいいよ、とか。そんなでしたねえ」
『深夜食堂』の常連客は、基本的に貧乏だ。貧乏エピソードがしばしば心に沁みる、低成長期の日本にふさわしい作品でもある。しかし、ルーツの店はバブル期のノリだったのだ。深夜帯になっても店を閉じるわけにはいかないほど、活況を呈していたわけだ。
京橋の「やぐら」は、道路拡張のため1996年に立ち退きで閉じた。1998年に上本町の地下1階で再開したときは、ビルの契約の事情もあり、一般的な営業時間帯の店に変えた。今の天王寺町南の店も一般的な営業時間。10年ほど前、奥さんの実家近くに開いた。
時系列で話を聞いていて、気になったのは、最初の「やぐら」閉店から、次の「やぐら」の開店まで2年間の空白があること。尋ねたら、山口さんは「ぷらぷらしてたんですよ」と笑う。遊んで暮らしていたそうだ。その間の生活費は?
「それは、大丈夫でしたね。お金は大丈夫やから、ぷらぷらしてました」
それ以上は野暮なので聞かなかったが、そのぐらいの貯金は楽にできる商いだったのだろう。ルーツはバブリーだったのだ。時代は流れたのだ。
些か遠い目になりつつ、料理をいただいた。夫婦で開発した酒かすの串かつなんてオツなのもあって、一串100円。『深夜食堂』とはまた別の、居心地のいいお店だった。