『私は安楽死で逝きたい』
月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)で、脚本家・橋田壽賀子(91才)は上記タイトルのエッセイを寄稿した。安楽死への憧憬を語り、スイスの安楽死団体を自ら調べ、日本の法整備の必要性を説く彼女の言葉は、覚悟を伴って重い。
「私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」(橋田)
橋田の問題提起は意義深い。現在、日本の65才以上の人口は3461万人。うち単身者は550万人。いずれも統計開始以来最多の数字である。
徘徊老人のケースでいえば、2015年度、認知症が原因の行方不明者は1万2208人(警察庁調べ)。98%は発見済みだが、150人はいまだ行方がわかっていない。発見時に死亡していたケースは479人に上る。
1日に平均1.3人がどこかをさまよい、人知れず死んでいく。超高齢化の波が最後に押し寄せるのは、病院である。手術に耐えうる体力がなく、治療に激痛を伴う末期の重病患者や、脳梗塞で寝たきりになった患者が延命措置を拒否する「尊厳死」の問題がたびたび俎上に載るが、いまだ法整備は進まない。
「リビングウィル」(遺言書)を作成し、「延命措置を望まない」と明記したとしても法的拘束力はなく、人工呼吸器を外した医師は殺人罪に問われる可能性が常につきまとう。2014年に超党派議員が作成した尊厳死法案の素案も、反対意見が多く国会提出は先送りされた。
世界各国の安楽死事情を取材してきたジャーナリストの宮下洋一氏が語る。
「日本でこの種の議論が進まないのは、風土として家族主義が根づいているからだと思います。個人主義の欧米に比べ、日本は家族を一つの集合体と見る。日本人の精神は、『一人はみんなのために、みんなは一人のために』が基本です。病人が出れば、家族が総出で面倒を見る。土着的にそうした看病態勢がある以上、安楽死の法整備は受け入れづらい。ただ、時代は確実に変わってきてはいますけどね」
その言葉を示す数字がある。今年春、安楽死をテーマに宮下氏が執筆した記事がYahooに転載され、1日で1500件のコメントが付いた。
「90%近くが安楽死容認派だったんです。驚きました。日本人も、公に口には出さないまでも、本音では“死のあり方”を個人が主体的に決める風潮が出来上がりつつある」(宮下氏)