映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、デビューし一本立ちしてからも続いた勝新太郎との師弟関係の思い出を語った言葉からお届けする。
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京都で勝新太郎の付き人をしていた松平健は1975年、初めて本格的な大役につく。それがテレビシリーズ『座頭市物語』(フジテレビ)の第23話「心中あいや節」。主演はもちろん、監督も師である勝が務めた。相手役は浅丘ルリ子である。
「『今度、お前を出させるから』と勝先生に言われまして。いやあ、嬉しかったですね。会社の人たちは『そんな新人を』と反対したようです。そこを勝先生が押し通してくれたんです。
勝先生はいつも『台本なんかいらねえ』『セリフは覚えてこなくていいぞ』とおっしゃって、現場でセリフをつけていました。『こういう時、お前は何て言う?』と相手に聞きながら。でも、この時は『お前、ちゃんとセリフを覚えてこいよ』と言われまして。撮影の前の日にはホテルの部屋に呼ばれて、翌日に撮るシーンのリハーサルです。『何シーン目を撮るから、そっちから入ってこい』とか『目をキョロキョロさせるな』とか。
現場での勝先生は、どのカットも凄く目一杯に撮ります。雪の上を歩く足の裏とか、一つ一つの画に細かく指示をしながら、大事に撮っていました。流すというか、軽く撮ることはありませんでした。演技も、まずはご自分が見本をやってくださる。それでもできない時は、手取り足取り教えてくださいました」
その後、松平はスターになるが、師弟関係はずっと続いた。
「一本立ちしてからも、舞台稽古にはいつも来てくださいました。その時も、ダメだしが届きました。覚えているのは、『花道を去る時は揚げ幕の向こうに針の穴があると想像して、それを見ながら幕の中に入っていけ』というお言葉です。小さい穴を見ると、気持ちが集中するじゃないですか。それを舞台から去るまでずっと続けていくんだ、ということです。
『王様と私』というミュージカルをした時だけはダメだしはありませんでした。最後は泣いていました。そんなことはそれ以前も以後もありません。ただ、先生が亡くなってから奥さんの中村玉緒さんと食事させていただくと、『家では勝は《松平、あいつはよくなってきた》という話をしていたのよ』ということを教えていただきました」