「胸が大きい女は売れない」という芸能界の常識を覆し、巨乳を武器に雑誌グラビアから女優やタレントを育て上げるビジネスモデルを開発した元イエローキャブ社長・野田義治氏(70)。彼はいかにして芸能界に革命を起こしたのか──。
「うちの子たちには『自分のことを“グラビアアイドル”なんて言ったら承知しないぞ』と言ってます。グラビアはあくまで夢を叶えるために名前と顔を覚えてもらう場所。女優にも歌手にもなる気がなくて、『夢はグラビアアイドルです』なんて言う子には遠慮してもらっています」(野田氏。以下「」内同)
そうグラビア哲学を熱く語るサンズエンタテインメント・プロデューサーの野田氏が芸能界にかかわるきっかけは映画だった。高校時代に高橋英樹の大ファンになり、俳優を志し上京。取次会社でアルバイトしながら劇団に通うも、やがて歌舞伎町に入り浸り、ディスコの副支配人としてミュージシャンらと交流を深めながら芸能界の基礎を学んだ。その後、渡辺プロの系列事務所でいしだあゆみのマネージャーなどを務め、1980年に34歳で芸能事務所イエローキャブの経営を担った。
野田氏のその後の人生を変えた堀江しのぶとの出会いは1983年7月。クラリオンガールの最終選考の20人に残った17歳の堀江に目が留まった。
「過去に夏木マリさんや朝丘雪路さんのマネージャーをしたこともあって、そんな女優さんたちと共通するオーラを感じた。胸が大きいなんてまったく気づかなかった」
優勝を逃した堀江はイエローキャブに所属することになった。しかし、無名の新人に仕事はない。野田氏は「とにかく顔を売りたい」と出版社に営業をかけまくった。そしてようやく『週刊少年マガジン』別冊の男性誌で、ハワイでのグラビア撮影の仕事にありついた。