麺を食べるときに、周囲に不快な音を立ててすする「ヌーハラ」が話題になった。日本では例えばイタリアのように麺をすするときに無音でなければならないというマナーはない。だが日本人はみな麺をすする音を気にしないのか。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。
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先月、「蕎麦やラーメンをすする音は、外国人にとって不快であり、ハラスメントである」という「ヌードルハラスメント」──ヌーハラが話題になった。テレビの情報番組などがとりあげたことで話題になったが、このネタ自体はいわゆる”ヒマネタ”として消費されるレベルの話だ。ことの経緯は以下の通り。一般に認知されていない種類の「ハラスメント」をツイッターの1アカウントが「今まで製麺業界の圧力で隠匿されてきたヌーハラを暴きます」と提唱。そのツイートをニュースサイトが取り上げた記事が新聞のサイトに転載され、情報番組が放送する。絵に描いたようなメジャーメディアへの拡散が起きたという構図だ(経緯は「ITmediaビジネスONLINE『「ヌーハラ報道」に、目くじらを立てる理由』が詳しい)。
上記記事では著者の窪田順生氏が「デマが起きる構造」について言及しているが、本稿では「『ヌーハラ』がそこまで拡散した理由」について、もうひとつ指摘しておきたい。それは「現代日本人が麺をすする音が不快だと感じる日本人は一定数いる」という事実である(11月30日、中国メディア「今日頭条」も「実は日本人自身もこれらの問題について意識している」と指摘したという)。
もし日本人全員があの音を「快」だとするなら、今回の騒動はここまで拡散しなかったはずだ。特にソーシャルメディア上では「賛成」「反対」のどちらか一色に塗りつぶされるような言説は一瞬盛り上がるものの、鮮度落ちも早い。賛否がわかれるネタのほうが長く話題になり、結果としてニュースサイトやテレビなど、他メディアへと展開されるケースが多い。なぜ今回、「ヌーハラ」騒動がテレビにまで拡散したかというと、あの音を「不快」だと思う人が一定数いたからだろう。