10月22日、上海に慰安婦像が設置された。中韓の芸術家らが寄贈したものだ。同日、「中国“慰安婦”歴史博物館」も開館した。慰安婦問題を終わらせない“中韓共闘”の現場をジャーナリストの西谷格氏が訪れた。
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上海市の中心部から真新しい地下鉄に乗って約15分、周囲を住宅や公園に囲まれた上海師範大学のキャンパス内に足を踏み入れ、目指す銅像を探した。少し歩くと、手入れされた芝生の先に、ブロンズ像の少女の姿が見えた。
近づいて観察してみる。チマ・チョゴリを着用したおかっぱ頭の少女と、チャイナ服のような漢服に身を包んだ少女が二人、姉妹のように並んで椅子に腰掛け、険しい表情でまっすぐ前を見つめている。古風な顔立ちの“朝鮮人慰安婦”に対し、“中国人慰安婦”はぱっちり二重の今風の美少女。ひざの上には花束が置かれ、像は静かに佇んでいた。
しばらくすると、学生と思しき男性2人が像の前に現れた。耳をそば立てて話し声を聞くと、韓国語をしゃべっている。2人は像の足元にある石板に目を落とし、その内容を読み上げた。石板には中国語、英語、韓国語、そして日本語の4か国語でメッセージが書かれている。
「『慰安婦』制度とは、1932年から1945年の間、日本政府が日本軍に軍事的性奴隷を配置することである」
という書き出しから始まる説明文は、
「加害者からの謝罪及び弁償が無かった被害者たちを慰めるために、ここに中国と韓国の『慰安婦』平和少女像を設立する」
との文言で締めくくられている。
男性2人は苦々しそうに韓国語と英語で声に出して朗読すると、1人がおもむろに像の前に立って両手を組み、頭を垂れた。黙祷しているのだ。
像の裏側に回り込むと、もう一つ小さな石板を発見した。
「We can forgive, but we can never forget」
我々は許すことはできるが、決して忘れることはできない。本当に許す気があるのだろうか、などと思ってしまうのは邪推だろうか。