「あの頃は東宝専属の俳優になって5年目、まだ大部屋俳優でしたが、メロドラマの俳優を目指していました。だからぬいぐるみに入るのは抵抗があった。俳優なのに顔も出ない、台詞もない、そんな役は嫌だなと……。だから最初は断わっていたんです。でもスタッフから何度も“やってくれ”といわれて。悩んでいたら、祖母が“そんなに求めてくださるならやった方がいい”と。その一言で決めました」(古谷氏)
撮影は想像以上に過酷だった。
「マスクは視界が悪いし、ゴムのスーツに全身を覆われて息苦しく耳も聞こえにくい。怪獣との乱闘はリハーサルなしで、本気で殴ってくる怪獣もいて、スーツが薄いから生傷が絶えなかった。それにとにかく暑く、ビキニパンツ1枚でしたが、体中の汗が流れ落ちてブーツに溜まりました。1回の撮影で3キロは痩せましたね」(古谷氏)
番組は毎回、キャスト・スタッフが一丸となって作り上げていた。実は開始時は必殺技すら決まっておらず、スペシウム光線も同時進行で生まれた。
「監督とカメラマン、光線を描く担当者で話し、腕を縦にして光線を出すことになった。ただ、腕1本ではブレてしまい、当時の技術では光線を合成させるのが難しいから左手を添える形で決まったんです。丸1日かかりました。皆はタバコを吸いながら話していましたが、僕はスーツを着た状態で色んなポーズをとり続けたので、終わった時にはヘトヘト。その後は1日に何百回も鏡に向かって練習したものです。あれは少しでもズレると、構えた手で耳やカラータイマーを隠しちゃうから難しいんですよ」(古谷氏)
●写真/(c)円谷プロ 取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2016年12月23日号